あんこの開墾日記

自分自身を耕して、掘り起こして、本当にしあわせな私のありかたを発見したい。そんな想いで書いてます。

ブログと私のこの一年

 

去年の11月頃、私は「ブログを書こう」と思い立ちました。それはよく参加している(と言っても最近あまり行けてない)ポットラックパーティーで言われたある一言がきっかけでした。

 

当時私は毎日もやもやしていて、そのどうにもならなさに戸惑いながら生活していました。そんな話をポットラックパーティーの場でしていたら、そこにいた常連さんが

なっちゃんさ、ブログ書いてみたら?」

と言ってくれたのがきっかけでした。

 

はじめはとても抵抗がありました。自分の文章を人に読んでもらうのは気恥ずかしいし、そんなに人に読ませられるほどの上手な文章を書けるわけでもないし、というかもともとタイピングも速くないし、SNSとかインターネットとかそういうの好きじゃないし、、、そんな「やらない理由」をくどくど考えていたのですが、それ以上にそのもやもやから早く脱したいという気持ちが強かった。これをどうにか打開できるのなら、どんな手段であれ試してみたいと思っていました。

そうして始まったのがこのブログなのです。

 

ノートの延長線上

当時の私は、もやもやの打開策をいろいろ考えてみては実行していました。アルバイトをやめてみたり、新しい人に出会うためにひたすらイベントに参加したり、いろんな人とにじっくり話を聞いてもらったり。思い返せば今年の2,3月のフィリピン・カンボジア渡航を決めたのもこの時期でした。とにかくもやもやから抜け出したくて、自分が思いつく限りの自分が変われそうな行動を探していたのだと思います。

そうしたもやもやの中で、もう一つ私が実践していたのが、自分の感情を記録することでした。今の自分が何を考え、何に対してどんな感情を抱いているのか。頭の中で考えているだけより実際に文字に起こしてみると出てくる感情もあります。このノートは未来のために取っておく記録というより、現在の自分の思考を整理するために使うメモ書きのような役割で、その延長線上がこのブログになっていました。

 

延長線上と言えども、ノートとブログには大きな違いがあります。それは、人に見られているという「緊張感」。自分で5日に1回は記事を更新すると決めたら、嘘はつきたくないからちゃんと更新する。別に誰も私の更新頻度なんて気にしてないかもしれないけど、それでもちゃんと見られている感覚を持っているから続けることが出来る。

昔から「続けること」が好きでした。日記とか、勉強とか、長距離のトレーニングとか。私の中で継続は圧倒的な正義だった。高校生まではそう思っていたのに、大学生になってそれが揺らぐようになりました。生活の自由度が増して、自分でやることとやらないことを一刀両断できるようになってしまいました。これ自体は悪くないことなのですが、ずっと何かしらを続けていた高校生時代に比べて、「私ふらふらなにしてるんだろ?」と少し落ち込んだりすることも多かったように思います。

そんな日常の中に、「続けるもの」を欲していたのかもしれません。

心から「続けたい」と思えるもので、ちゃんと続けていることが自他ともに目に見えてわかるもの。そうして行きついた先が文章を書くことだったのです。

見られているという緊張感は、内容についても反映されています。自分だけしか読まないノートであれば、誰かの非難だったり、愚痴だったりを書けますが、インターネットにつながっているブログではそうもいかない。誰が読むかなんて全くわからないし、だからこそ人を傷つけることのないような内容を書くように気を付けていました。自分の感情を素直に表現しつつ、人を傷つけないというのは、私にとってはとても難しいことでした。

 

ブログのテーマはばらばら

いつも読んでくださっている人はわかると思うんですけど、私のブログには一貫したテーマというものがありません。農業の話だったり、旅行に行った話だったり、海外についてだったり、日常生活で感じることだったり。その時自分が本当に書きたいこと、誰かに伝えたいことというより「感じたこと」を素直に書いているからこのような一貫性のなさが実現しています。

私は特にずば抜けた文章力があるわけでも、人が知らないような知識があるわけでも、毎日続けているような趣味があるわけでもない、普通の大学生なわけで。文章を書く上での武器というものを持っていません。大抵ブログって一貫したテーマというか、ちゃんとその著者の色が出るようなもの(コミュニティの運営とか起業とかしている人がその経緯とか現状を綴ったりとか、主婦の方々がお料理とか家庭菜園とかしてその様子を書いていたりとか?)があることが多いように思えますが、私はそんな文章書けません。

でもそうした武器がないからこそ、自由に思ったことだけを書けるのです。毎回のテーマに縛られることなく、その時々に自分が経験したことや感じたことを自分の言葉で文章に出来る。そうすれば書きたくないことは書かなくていいし、書きたいことを後回しにする必要もありません。数を気にする必要もない。ここは私が素直に感情を表現するための場所であって、誰かから評価をもらう場所ではない。テーマをばらばらにすることで、私はのびのび文章を書いてこれました。

 

 

書くことと自分の中での変化

今まで文章を読むこと、何かを考えることが好きだった私ですが、こうして定期的に自分のことを表現する機会を今まで設けたことがなかったので、ブログというのは私にとっての大きな挑戦となりました。そうした挑戦の中で、私は何か変われたのだろうかと振り返ってみることとします。

 

ひとつは小さなことを深堀しようと思えるようになったこと。

私は大抵の記事を2000~3000字を目安に書いています。あんまり少なすぎると読みごたえがないし、どんどん手を抜いた文章を書くようになってしまう。かといって多すぎると続けるのも大変だし、読む人もうんざりしてしまう。そうならないための中間がこの量だと思っていました。しかしながら、ポッと出のアイデアで2000字も文章を綴ることは容易ではありません。だから毎回一つのテーマに対して自分の中で考える時間をたくさん作ります。どんな表現が一番適切かとか、どんな構成にしたら読みやすいものになるかとか考えながら、5日間かけて場合によってはもっと長い時間をかけて文章を作っていきます。

 

2つ目は自分の考えに反応をもらえるということ。

私が考えていることは、外に出さなければ誰にも伝わることなくどこかに忘れ葬られます。でも私がそれをちゃんと言語化することによって、それをたまたま読んでくれた人が私の文章に対して何らかのコメントを返してくれて、もうそれだけで「何か」が生まれているなぁと。「価値」というには程遠いかもしれないけど、そこで交流が生まれることで何かしらその人との関係にいい影響を与えられているんじゃないかなぁと。例えば「私も同じこと思う」って共感してくれる人とか、「自分もその分野興味ある!」って教えてくれたりとか、「今度それについて話そうよ!」という風に会う機会につながったりとか。そうした「風」のようなものを生み出せただけで、私にとってブログの存在は大きかったのかもしれません。

 

そして3つ目はもう文章を書かずとも、自分の思考を整理できるようになってきたこと。

正確に言うと、文章を書かずとも、もやもやで不幸になることなく、私自身が心豊かに過ごせる環境が出来上がっているということ。始めたばかりの時は、これからに対する不安がたくさんあって、何に頼ればいいのか、自分はどうしていったらいいのか、もしくはどうしていきたいのか、私にとって幸せってなんなんだろうか、すべてがわからなくっておろおろしていましたが、今ではそれほど悩むこともなくなりました。今の私は私は畑に行けることが幸せで、帰る家があることが幸せで、おいしいごはんを一緒に食べる人がいてくれるだけで幸せ。だからそんなに深刻に悩むこともないし、多分この先も大丈夫だろうと。

 

 

ということで、来年はこれまでのような頻度では更新しなくなります。

ブログ自体を完全にやめるのではなく、思いついたときに筆を執る(PCを開く)スタイルにシフトしていこうと思っています。

たまに更新されたら、また読んでいただけたら幸いです。

それではみなさん、よいお年を!