あんこの開墾日記

自分自身を耕して、掘り起こして、本当にしあわせな私のありかたを発見したい。そんな想いで書いてます。

もう一度フィリピンに行きたい

 

今年の夏は特に海外に行く気もなかったが、友達に誘われなんとなく行くかぁくらいの軽いノリでマレーシア・シンガポールを旅行してきた。いつも私が海外に行くときってなんらかのプログラムに参加するからという理由だったけれども、完全に最初から最後まで個人単位での旅行というのは初めてだった。

 

マレーシアもシンガポールもとてもきれいな「都市」だった。

幹線道路がきれいに整備され、中心部には東京にも負けずとも劣らないビルが立ち並び、生活用品に困ることもなく、電車も乗りやすく、なんというか刺激が少なく住みやすい居心地のいい「都市」であった。それゆえになんとなくの物足りなさみたいなものもあったのかもしれない。

 

それでも旅行自体は非常に楽しいものだった。

私自身、別段マレーシアとシンガポールに興味があったわけでもない。むしろほとんどなかった。その子に誘われていなかったら生涯行くことのないところとすら思っていた。でも行ってみれば旅行というのは大抵楽しいものなのだ。

これと言って目的のない旅行だったため、非常にのんびりとした日程だった。(その友達が体調を崩していたのも少しは関係しているかもしれないが)マレーシアではピンクモスクとブルーモスクを見てマラッカを少しだけ探索したくらい。シンガポールマーライオンを見て、きれいなショッピングモールをぶらぶらしたくらいしか行動していない。こんなゆるゆるの日程を5日もかけて回ったのだ。暇な時間がたくさんあった。あり余るほどだった。お金と時間をかけて遠い場所に行ってひたすらにダラダラしていた。それがとても心地よかった。

 

 

 

シンガポールでアジアン料理がメインのフードコートに入った時のことだ。

見たことのある料理だと思った。ほんの少しだけ懐かしさを覚えた。

 

それがフィリピン料理だった。

シシグ、カレカレ、アドボ、ハロハロ…

 

フィリピンでのいろいろな記憶がよみがえる。

メインの道路一本わき道を入るとそこには「庶民の暮らし」があった。一つ一つの家庭が小さな商いをしていて、どこからともなく「おはよう」とか「今日はいい天気だね」なんていう会話をしているであろう声が聞こえてきて、誰が飼っているともわからない鶏がうろうろしていて、1ペソで買える水の自防販売機がそこら中にあって、そして、ちょっと汚くて臭う。でも笑顔にあふれていて、人が生活している音が聞こえてきて、フィリピンのそんなところが私は好きだった。「人」を感じられるところが。

 

 

実のところ、フィリピン料理は日本人にはあまり好かれていない印象がある。

とにかく脂っこいのだ。そして甘い。いかにも「太りそう」って感じの料理なのだ。

でもなぜだか私はそれを懐かしく、恋しく感じた。きっとそれは私がフィリピンで他の国ではしていないような体験をたくさんしたからだと思う。

 

出国前と帰国後にフィリピン料理をイベントで振舞ったり、

地元の人が買い物するような市場で買い出しをしたり、

フィリピンで実際に炊き出しを行ったり、

こどもたちを思いっきり遊びまわったり、

個人の旅行では怖くて決して入れないような大衆のお店に入ったり、

 

他の国に行ったときはこんな体験していない。フィリピンの70円プログラムに参加したからできた体験だ。

そしてこれらの体験の中心にがは常に「食」があった。

だから私はフィリピン料理を見ると、無性にそこに行きたくなるのかもしれない。