私にとって必要だった「書くこと」
お久しぶりです。
ブログを書かなくなってから4か月が経ちました。
4か月たった今の心境を書いてみようかと思い、画面に向かっています。
「書くこと」は考えることだった
ブログを書かなくなって、物事を深く考えることが減りました。それはもしかしたらブログを書かなくなったことだけが要因ではないかもしれないけれど。毎日何にも考えずとも日々は過ぎていって、ふんわりと1日1日が終わっていく。これがいいのか悪いのかはよくわからないけど、頭のどこかからか「こんなぼんやり時間が過ぎていっていいのだろうか」という声が聞こえてきます。
ブログを書いていた時代は、5日に1回は自分の考えをまとめて発信していたわけなので、それなりに常に何かを考えていました。今はその必要がなくなってしまったので、「私」という殻だけが生きているような感覚です。
「書くこと」は吸収することだった
書くことによって、得るものも多かったように思えます。嬉しいことに私の書いたことに対して共感してくれたり意見を述べてくれたりする人もたくさんいらっしゃいました。書くために積極的にいろいろなイベントに参加したり、自分の興味のある分野の人にお話を聞きに行ったりもしました。今もその好奇心がなくなったわけではないけど、以前と比べたら少なくなったように思えます。
吸収する意欲が半減した今、無為な時間を過ごしている感覚がずっと私の周りにまとわりついています。何をしても、自分の身になっている感じがしなくて、少し寂しい。
「書くこと」は整えることだった
私は日々、ほかの人よりも感情的に生きているので、感情があふれ出すことが多々あります。いい感情もよくない感情も。その感情の根源を自分の中で整理して、「なんで私は今こんなに悲しくなっているのだろう、いやな気持ちになっているのだろう」ということを整理することにも、書くことを使っていたことに最近気づきました。
自分と向き合うために書くことを使っていたことにも気づきました。
「書くこと」を再開します
やっぱり私は、
常に考える存在でありたい。
吸収し続ける存在でありたい。
大木のような存在でありたい。
そのためには書くことが必要でした。
週末に1記事を目標に書いていこうと思います。
ですがこれからは、匿名でひっそりと書いていこうと考えています。
また「高田夏子」として文章を書く自信がついたら、この場所に戻ってくるので、それまで楽しみにしていてください。