あんこの開墾日記

自分自身を耕して、掘り起こして、本当にしあわせな私のありかたを発見したい。そんな想いで書いてます。

成人式をおえて

 

成人式を終え、今思うこと。 

 

 

それは両親への感謝。

 

 

私はとっても普通の家庭に生まれた。お父さんはサラリーマンでお母さんは専業主婦。自宅は東京近郊にある一軒家。小さいころからそんなに裕福と思ったことはないけれど、特に不自由なこともなくすくすくと育ってきた。

 

私の取柄は「健康」「愛嬌」「真面目」

自分で言うのは恥ずかしいですが、本当にまっすぐ育ってきたと思う。私の基礎を創り上げてくれたのは他でもない私の両親だ。

 

さいころ、食べ物の大切さを教えてくれたのはお母さん。

そのころ私は好き嫌いが多かった。夕飯に嫌いなものが出たとき「もうおなかいっぱい」と嘘ついて食べ物を残そうとした。そんな私をお母さんはものすごい勢いで怒鳴りつけたよね。当時は意味がちゃんと分かっていなかったけど、今ならお母さんが伝えたかったことちゃんとわかります。自分の子どもに食べ物を残すような人間になってほしくなかったんだよね。そのおかげで今ではどんなものも残さずおいしく食べられるようになったよ。うちで育ってきたからそれって当たり前だと思ってきたけど、食べ物を残さず食べることって意外と世の中出来ていない人が多いんだよね。私はそういう風に育てられなくてよかったと感じている。きっと私が子育てするようになった時も、ちゃんと食べ物の大切さを教えられる親になるからね。

 

小学生のころ、ソフトボールを習わせてくれたのはお父さん。

小学生が関わることのできる大人なんて、せいぜい学校の先生と自分の親くらいなもの。でも地域のソフトボールチームには、他のメンバーの親、卒業生の親、特にかかわりのない地域のおじさんなど、たくさん大人と接する機会があった。私はそこで初めて大人に接するという体験ができたし、その体験がいまの自分にとても生きていると感じる。そこで培った「大人からかわいがってもらう」というスキルは間違いなく私が持つスキルの中でも上位に入ってくるものだと思う。

またソフトボールをやっていた時代、お父さんは朝練にも付き合ってくれたね。私はさぼり癖があって、全然やらないからお父さんを何回も怒らせたけど、「今日から一か月間、一日でも休んだら、これから先ずっと朝練には付き合わないからな」と言われて、私はちゃんと一ヶ月続けることができた経験は、今の私の中でも誇りとして生きている。私は自分でちゃんとやろうと決めたらちゃんと最後までやり遂げられる人間だという自信を最初に持てたのは、この時だったと思うよ。

 

 

中学生のころ、高校で部活をすることを進めてくれたのはお父さん。

本当は高校で部活をしようとは思っていなかった。アルバイトと大学に行くために勉強のために時間を費やそうと思っていた。でもそんな私にお父さんはこう言ったよね。「中学とか高校の部活っていうのは本当にそのときしかできないものだよ。この先絶対にあんなに全力でスポーツに打ち込むなんていう経験できないから、お父さんは高校でも部活をやった方がいいと思うよ」私はそれで高校で部活をすることを選んだ。高校で陸上部に入って、本当にあの時の時間は私の中での宝物だと思っているよ。そこで出会った仲間も、陸上を通して得ることのできた考え方も、一つのものに打ち込むことの尊さも、尊敬する先生に出会えたことも、本当に全部全部私の宝物。私は高校で陸上を選んでいなかったら、今この大学に来れていなかったと思う。

成人式や同窓会で話していて楽しいのは、やっぱり青春時代を共に過ごした仲間だった。この人たちと出会えて、楽しい中学・高校生活を送れたきっかけをくれたのは、お父さんだったんだね。

 

高校生のころ、起業家さんに会いに行くのに背中を押してくれたのはお母さん。

大学受験が終わって何かしようと試みて、私は起業家さんに会いに行こうと考えて、メールを送った。それでも全然返信が来なくて、「やっぱりこんな小娘は取り合ってもらえないよなぁ」としょぼくれていたところ、お母さんに相談したら「もう一回送ってみればいいじゃん」と背中を押してくれたよね。私は尻込みしながらももう一回メールを送ってそれから会いに行くことになって、私の世界は大きく広がったよ。本当に見えてくる世界が変わった。あの時私が彼女に会いに行ってなかったら、きっとこんな大学生活を送れていないと思うんだ。

 

 

そして今まで、大きな病気も小さな病気もほとんどしてこなかったのは両親のおかげ。

この前農家さんに言われてはっとした。「高田さんは本当に健康だな。それはきっと食ってるものがいいからだっぺ。それと早寝早起き。健康ってのは、普段の生活がそのまま影響してくっからな。」私のこの生活の基礎を創り上げてくれたのは、両親との長年の生活だ。

 

そして両親はどんな時も私に自由な選択を与えてくれた。そのおかげで私は自分の行きたい高校を選び、自分の行きたい大学を選び、中学生の頃には初めて海外に行くことができて、高校生の頃は国内外のボランティアに行かせてもらい、大学生になってからは休学も許してもらえた。ここまで子供の好きなようにやらせてくれる寛大な両親はいないと思う。本当に私を信頼してくれてありがとう。

 

私はいろんな転機で、自分で選択して、20年間自分の力で生きてきたと勘違いしてきた時期もあったけど、そんなことはないんだよね。その転機の選択の裏側には、やっぱり両親の血が流れていて、両親の言葉がある。だから私はこんな人間になれた。

 

ここまで私を育ててくれてありがとう。

まだまだ頼ってしまうこともたくさんあるけど、ちゃんと私がちゃんと私で入れるのはたりのおかげです。

 

この文章が両親に届くことはきっとないだろうけど。