あんこの開墾日記

自分自身を耕して、掘り起こして、本当にしあわせな私のありかたを発見したい。そんな想いで書いてます。

まとめない

まとめなくていい

はじめてこんな言葉をかけてもらったのは、高校3年生の受験のグループディスカッション練習の時でした。

 

「グループディスカッションというのは、時間内にグループの意見を集約して結論を出すことが目的だからね。だからまとめ役にならなくてもいいの。むしろならない方がいいの。与えられたテーマに対して、自分が言いたいこと好き勝手言って、それを評価してもらえばいいんだから。面接官がテーマに対する答えを求めているんじゃなくて、受験者がどんな考えを持っている子なのかを知りたいだけだから。」

 

 ほう、そういうものなのか。

当時受験術なんて何にも知らなった私は、その先生の言葉を素直に受け取り、グループディスカッションの本番も、周りにまとめ役を買って出ている人がいる中でも、慌てず騒がず焦らず、好き勝手に発言しました。今思い返すと、あの場でよくもあんなどうでもいいこと発言したなと思うようなことまで(笑)

 

大学の授業でもちらほら

「まとめなくてもいい」という考え方を久しく忘れていたのですが、ここ最近いくつかの授業の中で誰かの発表の後にディスカッションの時間があって、その時教授はこう言うんですよね。「まとまらなくてもいいので、話し合ってみてください」と。

きっとこの授業の目的は、発表者の話を聞いて自分以外の人はそれをどう捉えたかを知ることなのでしょう。決して結論を出すことだけが有意義な時間というわけではなく、結論を出してしまったあとでは見えなくなってしまう、たくさんの声を自分の耳で拾うことも大事なことと考えられているのだなと感じています。

 

まとめなくていいディスカッションは、本当にまとまらない。皆がまとめる気がないから、それぞれが自分の言いたいことを言って、誰かに対して意見を言うこともあるし、完全にみんなからスルーされる意見というのもある。そんなカオスな話し合いが当然のものとして受け入れられている時間なのです。

誰かにちゃんと意見を返さなきゃとか、結論を出さないととか、そんな変な強迫観念がないために、肩の力を抜いて自分しか気になってないだろうなと思うような疑問すらも投げかけることができる。あわよくばその疑問に対する答えが返ってくる。想像していたよりもずっと楽しく充実した時間を過ごせます。メンバーに話し合う気さえあれば。

 

 まとめると流れていく、小さなかけら

まとめる能力って、よく必要とされますよね。でも最近、「まとめる」って時として、たくさんの落とし物をしてしまう気がしています。

まとめるというのは、いろいろあるものの中で、事実とか感情とか意見とかの大事な部分だけを切り取って、わかりやすくするということ。話もしっかりと筋道を立てるということ。それだからどうしても、多くの人から要らないだろうと思われるような部分は削られてしまって、どこの誰にも届かなくなってしまう。もしかしたら、その人にとって今一番欲しい言葉は、この届かなかった小さなかけらかもしれないのに。まとめたら削られてしまう小さなかけらに、その人の想いが一番詰まっているかのしれないのに。

そうした小さなかけらを取りこぼさない人になれたらいいなと思います。自分が受け取り側でも届ける側でも。話の本筋において大事なことを強調することも、明確に何かを主張するときには大事かもしれないけど、もっとそこには余白があってもいい。あってもいいというより、そこの余白をちゃんと受け止められるような度量のある人に私はなりたいなんて、ちょっとかっこいいこと言ってみたり。

 

私自身、こうして文章を書いていてまとまらないこと、たくさんあります。書いているうちにどんどんいろんな思いが浮かんでは消えて、自分しか文脈を辿れないようなこともいっぱいあって、あれもこれも書きたい、でもそうすると全然違う話が始まってしまうからこっちは今度のテーマのために取っておこう、そんなことの繰り返し。自分なりにこれまではまとめてきたつもりではあるけれど、あえてめちゃくちゃに感情を羅列したままにして投稿してしまうこともしばしばです。きっと読みづらい部分もたくさんあるだろうけど、小さいかけらを残しておいた方が、多分私をよく表現していると思うから。たった一つの確固たる意志を持った私ではなく、まとめきれない小さなかけらをたくさん持った私でしかないから。

 

「まとめられない」ではなく「まとめない」

私たちは、どうしてもまとまろうとする。どんな時も。小学生の調べ学習の新聞でも、中学生の時に書いた税に関する作文コンクールの時も、大学受験のために練りに練った志望動機の時も。自分の一部を削って、わかりやすくなったものを誰かの評価される。まとめるのは結構苦しい。それはたくさん削らないといけないから。意図的に主張を作り出して、その主張を強固にするために言葉を切り貼りしないといけないから。

 

その段階を抜け出せたらなと思います。まとまらない、私。

たくさんの小さなかけらを―優れたかけらも壊れやすいかけらもおもしろいかけらもー全部持っている状態でいたいです。持っているうえで、たくさんそれを相手に伝えられるようになりたい。信頼できる相手に、私にはいろんな部分があるということを、ちゃんと知ってもらえたらなと思います。そういうひとと一緒に時間を過ごせたらなと思います。

これから働いていくうえでも暮らしていくうえでも。