あんこの開墾日記

自分自身を耕して、掘り起こして、本当にしあわせな私のありかたを発見したい。そんな想いで書いてます。

生きているものを食べて、私たちは生きている

私たち人間のほとんどは毎日なんらかの「生」を食べて生きています。

お米も野菜もお肉もお魚も、みんなみんな生き物。

 

多くの人は日常生活の中でその事実を思いだすことはありません。目の前を流れるお寿司を見て海を思い浮かべたり、コンビニの冷蔵庫にあるカット野菜が土の中や上で育ったものだと認識したり、鉄板に乗ったステーキは数日前まで私たちと同じように四肢を動かしていた生物だったということを思い出したり。そんなことを食べるたびに思っていたら、気が狂ってしまうかもしれませんね。

 

でもそれが事実なんです。

 畑にいると、野菜からあふれ出す生命力を感じることが出来ます。食べ物たちは生きていたという事実を、思い出させてくれます。 土を押し上げて出てくる芽から、勢いよく伸びていく枝や蔓から、鮮やかに存在感を放つ花から、剪定や収穫するときに切った断面のみずみずしさから、そして朽ち果てていく姿から。「生」を直接感じることが出来ます。

そしてまた、田んぼや畑に行くと、生産過程にはたくさんの生物が関わっているということを知ることが出来ます。先日稲刈りと籾摺りを終えた田んぼで、藁を束ねて結んでいく作業をしていました。たくさんの虫たちと、カエルと、トリと一緒に。いっぱいいっぱい生き物がいて、こうした生き物が生きているからお米は作られていくんだろうななんてことを考えてたら、なんだか今までにないような気持ちになりました。

私たちは自然の中で生かされているんだなって。私たちが生きているんじゃなくて生かされているんだなって。

 

これを感じる機会が少ない世の中が悲しい。

私も農業をやるまでは、自分が毎日食べているものがどんなふうに作られて、どんなふうに私たちのもとに届いていたのかを、全くと言っていいほど知りませんでした。それは私にとって、そしておそらく私のように都市部に住んでいる人たちにとって、1次産業というものがあまりに遠い存在だから。スーパーに行けば、きれいな状態のお野菜が並んでいて、調理しやすいようにもしくは調理しなくても食べられるようにお肉やお魚が加工されている世界だから。生産の現場と食卓があまりにも断絶されているから。

 

今の小さい子の中には鮭の切り身が海を泳いでいると信じ込んでいる子もいるみたいです。でもそれは笑い話にはなりません。それくらいに生産の現場と食卓が離れてしまっているということを直接的に表しているエピソードだから。

さいころの経験とか記憶って、印象が大きければ大きいほど後々残るんだろうなと思っているために、だからこそ小さい子に畑に来てほしいなと思います。それは私ができなかったことでもあるから。先日もこどもたちのさつまいも収穫のお手伝いをしてきたのですが、「この子たちが大きくなっても、この体験を忘れないでいてくれたらな」と思わずにはいられませんでした。そうした体験が記憶の片隅にでもあれば、「私たちはたくさんの命に生かされている」という思いが少しでもあれば、毎日の食事を大切にしようと思えるようになると思うから。

 

 

 

そして今。野菜だけじゃなくって他の食べ物ってそうやって作られているのかなということが気になっています。

先日は鴨農家さんでアルバイトをさせてもらって、食肉加工の作業を初めて経験しました。あれだけ大量のお肉を見ることは、とっても貴重な経験でした。正直作業の初めの方はお肉独特のぬめぬめした気持ち悪さをずっと気にしていたのですが、考えてみればこれまで私はたくさんのお肉を食べてきて、そうしたお肉はすべて誰かの手によって解体され、加工されて、私の胃の中に納まっていたんだという、今まで目を伏せていた部分を考える機会となりました。

実際にやってみないとわからないことがある。考えないことがある。想像では補えないものがたくさんある。

お米とか、お肉とか、お魚とか。とにかく何でも知りたい。吸収したい。たくさんの生産の現場を見てみたい。

 

そんなことを日々思っているので、もしそんなご機会をお与えてくださる方がいらっしゃいましたらメッセージ下さい!!