あんこの開墾日記

自分自身を耕して、掘り起こして、本当にしあわせな私のありかたを発見したい。そんな想いで書いてます。

ボランティアとか支援とか

尾道を姉と歩いていた。

駅前で24時間TVの募金活動をしていた。

姉はその集団から遠ざかるようにして歩く。

 

「なんか、ああいうかんじの苦手なんだ。何もやってない自分が後ろめたい感じもするし、かといって募金を入れるのもなんかモヤモヤする」

そんな言葉から考えた、私が思うボランティアとか支援とかのこと。

 

 

私は高校生のころからなんとなく「国際支援の道で働きたい」と思っていた。大学受験が終わって自分なりにそのことについて探求してきたつもりだ。交流会に行ってみたり、団体を立ち上げてみたり、実際に渡航してみたり、自分の中でいろいろ悩んだり、、そんなことしているうちに同時並行的に農業と出会って、その生き方に魅せられて、私は国際支援の道に進むことを考え直し、今は農業をして生きていたいと思っている。だから決して、方向転換した理由は「なんだ、途上国の人たちって支援とかなくても日本より幸せそうじゃん」とか「国際支援に出来ること限界あるよね」そういうものではなくて、単にそれよりも心からやりたいと思えることに出会ってしまったからというだけであって、今だに国際支援に対して関心はある。

 

私の身の回りにも一定数、国際支援に積極的に取り組みたい人と、できればそれに関わりたくない人がいる。社会的にいいとされていることを批判するのって、あまり大きな声で言えるものではなくて、だからこそ出来れば関わりたくない人の意見というのは近くに転がっていることが多い。今回の姉の発言みたいに。

そんなボランティアとか支援とかに関するいろんな人のもやもやをかき集めて、私なりに回答を出したいなと前から思っていて、これを機会にちょっと自分の中の考え方を整理してみようかなと思って書いてみる。

 

募金の透明性。

自分が募金したお金が、どこでどのように使われているのか、私たちは想像することが難しい。特に赤十字とかUNICEFとか大きい団体であればあるほど、そのお金がどのように使われているかどうかが見えづらい。でもそれなら自分が信じられる相手にだけ募金をしてみればいいんじゃないかと思う。例えば、私の場合は身近に国際協力とかやっている人が何人かいて、そういう人にその活動に対する応援の気持ちも込めて募金を渡したり、街頭で一度断ったのにもう一回募金を頼まれたことがあってその熱意に負けて募金をしたりしたことがある。

 

後ろめたい。

支援者が支援するために努力している姿は社会的に見て美しいものだし、自然と目に入ってきてしまうもの。だからそれを目にすると自分は何もしていないということを再確認させられ、そう思わせてくる相手自体を少しだけ憎んでしまう。相手はやっていて自分はやっていないことに対してうしろめたさを感じてしまうのは、自然な心理だと思う。私も街頭募金をスルーしたり、国際協力の道からちょっと退いたりしてみて、後ろめたい感じはある。でもそうした人と自分とをちゃんと切り離して「あの人と私は全く別の人間で、やりたいことも考え方も別なんだから」を割り切れれば、そうした感情も次第に収まるんじゃないかと思っている。

 

表だって支援をしている人に対する猜疑心。

そもそもあなたが街頭に立って募金を集めるより、普通にバイトしてそのお金で支援した方が額は大きんじゃないの?街頭に立っている人はいい人ぶりたいだけなんじゃないの?そんなことを感じる人も周りには一定数いる。(特に私の身内には多い)確かに1日街頭で募金を集めるのと、バイトして稼ぐのを比べたら後者の方が金額的に集まるような気がする。後者に対してはちょっと物申したいことがあって、国際協力の分野に進む人の中でそんな中途半端な気持ちでやっている人って、ほとんどいないということをちゃんと知ってほしい。いいカッコしたいからという理由で出来るようなことではない、あんなに大変なこと。むしろ人からそう思われてしまうんじゃないかっていう心の葛藤を抱えながら活動している人の方が多いように思える。

 

こんな小さなことで世界は変わるわけない。

世界にはたくさん貧困とか病気で苦しんでいる人がいるのに、私がたった100円募金しただけで世界は変わらないと思ってしまうこともある。(これも身内に多い意見)確かに世界は変わらないかもしれない。でも、もしかしたらこんな小さな力で少しでも喜んでくれる人がいるかもしれない。だったら1個100円のアイスをちょこっと我慢して支援に回してみてもいいんじゃないかと思ってみたり。みんながみんな変わらないと思っていたら、絶対に状況が好転することはない。でも少しでも良くなるかもと思えたなら、物事はいい方向に向かうんじゃないか。

 

途上国の人って支援とかなくても日本人より幸せそうに生きてない?

途上国に行ったことがある人の多くが感じること。途上国に人たちよりよっぽど日本のサラリーマンの方がうつろな目をして歩いている。日本の方が物質的に豊かとされているのに。かといって途上国の人がキラキラした目をしているからと言って、本当に物質的に困っていないのかと言われればそれは違うのだと思う。たくさん困っていることはある。

 

人の意見を真っ向から否定するようなことを、もしかしたら言ってしまっているかもしれない。でもこれが本当に私が思っていることだから。そして私が誰かに伝えたいことだから。だからちゃんと言葉にする。