私はどう働きたいのか
ひとりで時間を過ごしていると、よく考えるテーマがこれだ。
「私は将来どうやって働きたいのか」
この夏も北海道の小さな田舎町で茹でトウキビを売りながら、そんなことばかり考えていた。こんな大自然の中で生活していくのもありだなとかも思うけど、北海道寒いし、近くに仲のいい友達もいないし。
今の世の中、たくさんの選択肢がある。そして昔よりも王道(おそらく大学を出て、企業に勤めて終身雇用みたいな、もしくは女性であれば寿退社して子育てするみたいな)から逸れることが許容されやすい世の中になっていることは確かだし、実際に本当に自由な人生を選択している人を私はたくさん知っている。
だからこそ、迷うのだ。選択肢が増えるというのはいいこととされているけど、ある意味苦しいことでもある。自分の責任で人生を切り開かなければならないから。私たちの世代は、たくさんある選択肢から自分の納得のいくものを自分の手で選び取ることを強いられているとすら言える。
キャリアの話とかになると、大抵こういう意見の人がその場に一人はいる。
「大学生活、バイトとサークルだけで時間をつぶすのはもったいない」
そういう人は大抵、インターンをした方がいいとか海外に行った方がいいとかそんなことを口にしている。でも私はそんな意見に振り回されてしまっている自分こそがもったいなく不自由な感じがしてならないのだ。別にその人の意見を真に受けて海外に行っているわけではない。私は自分の好奇心と直感を頼りにやることを選択しているつもりだ。
でも少なからずその言葉が私の耳に入っている以上は、無自覚の内にその言葉の影響を受けてしまっているのではないか。海外に行ったり、インターンをしたりして、自分のできなさ加減だとか世界の不条理さだとか、本来なら出来る限り目を向けたくないことと向き合わざるを得ない状況に自分を立たせて、陰鬱な気持ちになって、本当に大学生活それで楽しいのかとも思う。もっと何も考えず気楽に遊んで楽しく4年間過ごしてもいいんじゃないかって。むしろ、大学生というこの自由な時期に、将来のことで頭がいっぱいなのももったいないし、そっちの方が不自由なんじゃないかとすら思う。
不自由ながらも、ここまで思考を煮詰めてしまっては思考していない状態に戻ることは出来ない。だから私は旅の途中でも将来どう働くかについて考えてしまっていた。
「将来こうありたい」という理想像
ひとりで働きたい。
安定収入は欲しい。
太陽の光を浴びていたい。
家族の時間をちゃんと取りたい。
逆に「こうはなりたくない」という反面教師の像
デスクワークはしたくない。
心を空っぽにして働きたくない。
出来ることなら人の管理下にはいたくない。
でも人を雇う立場にはなりたくない。
空が狭い場所で働きたくない。
毎朝満員電車には乗りたくない。
多分まだまだ粗削りなのだ。働くことを考えるにはまだ十分に情報も集められていなくて圧倒的に経験も足りていなくて、考えを固めようと思っていても固められるような段階じゃないのだと思う。やりたいことと、やりたくないこと、ちゃんと自分がその理念を実現できるような導線を引けていないのだ。
でもとりあえず、大学2年生の夏ごろはこんなこと考えてたんだなという記録として残しておく。