あんこの開墾日記

自分自身を耕して、掘り起こして、本当にしあわせな私のありかたを発見したい。そんな想いで書いてます。

豊島美術館

この夏訪れた場所の中で、一番おすすめしたい場所。断言できる。

それが豊島美術館

たくさんの人に「なにがよかったの?」と尋ねられるが、なかなか説明が難しい場所なである。なのでこの場で初めて、この美術館がどんな場所だったのか、私はそこで何を感じたのかを言語化しようと思う。

 

まず豊島美術館がどこにあるのか。

瀬戸内海に浮かぶ小さな島、豊島(「てしま」と読む)。フェリーを使って香川や岡山から上陸することが出来る。フェリーの港からバスが出ていてそれを使っても、もしくはレンタサイクルをしてもいい。港から少し離れた場所にある。起伏が大きい道であるため、レンタサイクルをするなら電動アシスト付きがおすすめ。

 

 

豊島美術館はみんなが「美術館」という単語を出されたときに想起できるような場所ではない。絵画も彫刻も置いていない。ただただ広い円形に近い形のコンクリートに囲まれた空間がそこにあるだけだからである。天井には穴が開いていて、室内から空を望むことが出来る。

 

館内は撮影禁止だ。こんなにも言葉で表現することが難しい空間なのに、映像を記録することも制限されてしまう。しかしながら、撮影が制限されているからこそ、この空間は心地がいいのだと思う。だれもが映像に残りことに頼らず、今自分が感じたいものを感じようとしている空気が漂っている。だからこれを読んで、気になった人は行くしかない。行ってみないと絶対にあの感覚はわからない。ちなみに本当に行くなら所要時間は最低でも1時間は欲しいところ。3時間くらいは平気で入れる。多分ドはまりする人は1日中入れる。

 

中に入ると異様な光景が広がっていた。

灰色の空間で人が思い思いの恰好をして時を過ごしている。空間自体を楽しんで慈しんでいる。時々地面をどこからともなく現れた水が滑っていく。それを目で追う人あり、無視して踏んずけてしまう人あり、自分の息を吹きかけて進路を変更することに躍起になる人あり。

 

多分ここまで説明しても9割以上の人には伝わっていない。その伝えきれなさがもどかしいけど、これ以上詳細を伝えようと知ると、この文章はただの説明文になってしまって、実際に行った時のわくわく感が半減してしまうようにも思えるため、ここからは私がそこで何を考えていたかをつらつら書く。

 

 

私は地面を滑っていく水を見ながら、「人生と一緒だな」なんてことを考えていた。生まれ落ちて、道を進んでいく。一直線にものすごいスピードで進む人、ゆっくり進む人、誰かと一緒に進む人、誰かの後を追う人、ずっと同じ場所にとどまっている人、大きな組織に属する人、小さくまとまる人、ひとりだけで進む人。みんなそれぞれの人生を歩む。

 

人びとはその空間の中で思い思いに時を過ごす。仰向けになって寝る人、地面に耳をつけてじっとしている人、水の流れを見つめる人、空を見上げる人、歩きながら音を楽しむ人、ど真ん中に陣取る人、端っこの方でひっそり佇む人。これこそ自由だと思う。誰かに何かを強制されることもなく、自分が今したいことを出来る空間。また、ここにいる人も含めたこの空間自体がアートなんだと感じた。

 

室内から空を臨むことができる。空も見えるし、違う場所から上を見上げれば森も見える、雲の形も変わる。1周歩いて自分の好きな天井を見つけるのも楽しい。

 

この空間にいると思考が止まる。こんな感覚はじめてだった。何かを考えようと思っても、思考の種がするすると私の中から抜け落ちてしまう。感じることしかできない。すべてが削ぎ落とされていって、時間とかそういうものの感覚もなくなる。