あんこの開墾日記

自分自身を耕して、掘り起こして、本当にしあわせな私のありかたを発見したい。そんな想いで書いてます。

走るにかけていた、あの頃

 

先日とある企業のインターンの面接に行ってきました。

その時の20分間の会話から、過去の記憶がよみがえる。

 

あなたがこれまで一番頑張ったことは何ですか?

この質問を投げかけられたとき、真っ先に「高校陸上です」と答えられた自分がとても嬉しかった。

 

「一番」って難しい。

主観的な感情を数値化することは難しい。自分の中にはたくさん一番があるようにも、1つもないようにも思える。

 

「頑張ったこと」って難しい。

私は私なりにあの頃陸上に真剣に取り組んでいたけど、もちろん私より速い人、練習している人はたくさんいて、そんな人たちを差し置いて「自分は頑張っていた」と言い張張るのにはちょっとした勇気がいる。

 

そんな私の中の「難しい」を、うじうじ考える間もなく一足飛びに出てきた「高校陸上」の記憶。それだけ陸上が私にくれたものは大きかったのです。

 

怪我

高校1年生の夏、くだらないことで怪我をしました。

歩くのも厳しいくらい足を捻ってしまい、3日間は絶対安静、走るのは最低でも1か月はお預け。それも夏合宿の前日に。合宿中はできることなんて何もないけど、ちょこっとだけ筋トレしたり、マネージャーのお手伝いをしたり、みんなが走っている姿を見ながらやりきれない思いをかみしめたり。

当時は後悔しきれないくらい後悔しました。今でもあれがなかったらもう少し私は上に行けたかもしれないと思うことはあります。

 

でも怪我をしたから得られたものもたくさんあった。

どこに筋力をつければ怪我しにくい体になるか、どうしたら自分の体にかける負担を少なくして走れるか、走りたい気持ちと走ってはいけない体のコンディションにどう気持ちの面で折り合いをつけるか。きっと怪我をしなかったら考えなかったであろうことをたくさん考えるようになりました。

 

中でも一番の大きな変化はどんなことでも前向きに考えられるようになったことでした。

レース前に雨が降り始めたけどそのおかげで他の人は調子が出ないから私は相対的に有利だぞとか、ジンクスとして試合の日に履いていた靴下を試合の当日に忘れたのはきっと他の靴下でも記録を出せるようになるためだとか、この記録会でタイムが出なかったのはもっと大事な大会で結果を残すための前準備の段階だからなんだとか。こんな感じで、どんなに自分に不利な条件が重なっても、うじうじ考え込まずに自分の都合のいいように解釈できる能力が身につきました。

そうしていつしか「きっとあのタイミングで怪我をしてなかったら、こうした考え方をできるようにはなってなかっただろうから、怪我をしてよかったのかもな」とすら思えるようになっていました。

 

この考え方は今でも生きています。

今いろいろ壁にぶつかることもあるけど、そんな中でも明るく笑っていられるのは、あの頃たくさん前向きに考える練習を無意識にしていたからなんだと思います。

 

 

目標の立て方

むやみに目標を立てるのではなく、より自分のものにするための目標の立て方を教えてくれたのも陸上でした。(というか顧問の先生でした)

始めに一番叶えたい目標を据え、自分にとって夢くらいのちょっと大きめの最大目標、最低限ここは達成したいよねくらいの最低目標、その間の中間目標の合計4つを立てます。そうして段階的に目標を達成する道筋をたてることで、目標が遠すぎることもなく、達成した後に見失うこともなく、常に高いモチベーションで練習することができました。

また目標を達成したら、自分がそして周りの人(同期、先輩、後輩、先生、家族)がどんなふうに感じてくれるかいうことを具体的に想像することもしました。そうすることで、鮮明に目標を達成した時の喜びをイメージできるようになって、自発的に「この光景を見たい」と思えるようになります。

 

目標を立てながら、また目標を立て達成していく過程を陸上ノートに記録しながら、私は「心の中の確立していない何かを言語化する」という練習をしていたのだと思います。言語化することは、私の中でとても重要なことで、このころから私は自分自身を見つめ直して対話することが出来るようになりました。

 

ルーティン目標

これによって自制心というものを育てられたように思います。

 

ルーティン目標というのは、上のように決めた目標を達成するために練習の中で取り入れる目標や陸上に関係なく日常生活においての行動目標を10個決めます。

例えば

・合計20km走る

・腹筋50回、背筋50回

・洗濯物をたたむ

・勉強を2時間する

みたいなものです。ここで大事なのがこの目標を達成できたかどうかを〇✖ちゃんと判断できるようなものに設定するということ。だから「気持ちの良い挨拶をする」みたいなふわっとした目標はここに入れることはできません。

 

これを取り入れることで、基本的に好きではなかった筋トレを頑張ってみたり、大好きな甘いものを食べなくなったりと、自分を律することができるようになりました。

いざとなれば自分は目標の為に努力できる人間なんだという自信は、このルーティン目標を2年近く取り組んだこそ得られたものなのだと思っています。

 

 

その経験が今の私を支える

大学生になった今、「何か一つのことにのめりこんで成果を出す」ということにこだわることがなくなりました。

高校生の時と比べて圧倒的に自由に使える時間が増えて、何かやろうとするたびに背中を押してくれる人がたくさんいて、自分でも抱えきれなくなってしまうくらい多くのことに手を出して、いろんな人を振り回してうしろめたさを抱きつつも辞めて。そんなことを何度も繰り返しながら過ごす大学生活。高校時代とは真逆の精神。

でも、この「始めて辞めて」を繰り返せるのは、高校時代の経験があるからなんだと思います。

 

あれだけ一途に陸上に向き合えていた自分がいるから。

私が本当に「何か」を好きになったら、とことん「何か」のために生活をかけられる自信があるから。

だから私は今はその「何か」を探す段階なんだと思える。

あの頃頑張っていた自分がいるから、今のこの不安定な状態でもちゃんと前に進めていると確信を持てる。