カンボジアにて
今回のカンボジアへの渡航目的はNPO法人HEROインターンへの参加でした。
そのインターンの内容というのが「3日間でビジネスを立ち上げる」というもの。
市場調査、企画発表、材料調達、営業すべてをたったの72時間(実質60時間くらい)でやるという強行なタイムスケジュール。その「とにかく行動しまくる感」に惹かれて参加を決定しました。
インターン中の不快なこと
インターン中、普段は目を背けてしまうような自分の嫌なところに頻繁に遭遇しました。
それは毎日「2ストライク1ボール」という振り返り会をグループ内で行ったからです。自分のボール(よくないところ)を人に指摘してもらえるというのがとても新鮮でした。私は普段から自分の良くないところがあまり見えない人間なので(基本的に自分にとって都合のよくないことに関しては目を閉ざしてしまう)、そういう意見はとてもありがたいものでした。
また人に指摘されていない部分でも、自分の行動言動を振り返るタイミングが多々あり、時間をかけて自分を見つめ直すいい機会となりました。
輪に入れない…? それとも入らない…?
インターンの初日は仲を深めるために、参加メンバー全員でごはんを食べ、パブストリートというカンボジアの中では有名な繁華街へみんなで遊びに行きました。
その間、みんな楽しそうに話しているのですが、何となく輪に入れない自分がいました。
そういえば自分は新学期、友達を作るのが昔から苦手だったなぁと思いだしました。
一期一会の出会いの人とは人見知りしないで話せるけど、これから関係が続くんだろうなぁという予感のある人と最初からガンガン話しかけに行けない。みんなが一生懸命友達づくりしている様子を、どこか一歩引いて観察してしまいます。なんとなく「みんなが頑張って仲良くしなきゃ」と考えながら話しているあの空気感がどうしても肌に合わないのです。
深層心理では輪に入りたいのかもしれないけど、なぜかそうやって心の中で言い訳して、輪に入ろうとしない自分がいて、自分はどうしたいんだろう?この人たちをどういう関係を作っていきたいんだろう?ということを初日はずっと悩んいました。
自我が強い
自分でも重々理解していましたが、さすがにメンバー全員から指摘されると少しへこみます。
おそらくこれは自分の長所でもあり短所でもあります。
自分のスタイルを持っている、ちゃんと自己主張ができる、周りに流されない、というプラスの評価をもらう一方で、相手の意見を消しかねない、心の中に入っていけないオーラがある、というマイナスな評価ももらいました。
確かに私は相手が誰であろうと関係なく、自分の言いたいことを言って、やりたいようにここまで生きてきました。多分これまでたくさん人に迷惑かけているだろうし、知らぬ間に誰かを傷つけているかもしれないし、嫌な思いをさせているかもしれない。
でも自己主張をしないまま、自分の中でモヤモヤしたり、勝手に機嫌を悪くしたりするより、自分の思うようにやっていた方がましかなとも思ったり。
この自我の強さとこれからどう向き合っていくのかは課題になっています。
暫定的な結論をいえば、その自我を制御して使いこなせるようになればいい。
自分の意見をちゃんと表明した方がいい場面は今のままでいればいいし、他の意見をつぶしてはならないような場面では人の声に耳を傾けられるようになればいい。
この先、塩梅を考えながら行動して、また思い通りに行かなくて悩むんだろうという未来が見えています。でも何も考えず、人に嫌な思いさせて生きていくのも嫌なので、悩んでもいいから中庸を探していこうと思います。
この私が冷静?感情に流されない?
自分のことを「冷静」と分析したことがなかったので、この意見はとても意外でした。
「中に入っていけない感じ」とか「感情の起伏がない」とか指摘されたのもとても驚きでした。
これまで感情的に自分のやりたいことだけをやってきた人間と自覚していたのに、全く逆のことを指摘されたので、むしろ困惑したと言いますか。
でもよくよく考えてみると、今回のインターンでは大学受験期と同じ空気を無意識にまとっていたのかもしれないと思いました。
人にも、自分にも厳しくしていること。
時間管理を徹底していること。
自分の目標のためなら何でもすること。
受験期の私は本当に近寄りがたいオーラをまとっていたと家族からも言われています。今回のインターンの目的の一つに「死ぬ気でやる」というものがあったために、ある意味で今回の姿勢は正解とも言えますが、グループ行動でその空気をまとっているのはやっぱり良くなかったかなと反省しています。
冷静さは大事だけれども、グループ行動をする上で一番重要なことはグループ内での信頼関係だと思います。ちゃんと言いたいことを言える環境作りと言いますか。こういった空気感を出せていなかったのは今後の課題です。
メンターという立場
インターン二日目、メンバーの中で私ともう一人の子だけ個人的にメンターの人に呼び出されました。メンターというのはグループを保護者的な立場で俯瞰して、適切なタイミングで適切なアドバイスをメンバーにする人のことです。
何を言われるのかドキドキしながら言葉を待っていると、唐突に彼は
「他のメンバーのこと、見下してるでしょ」
と放ちました。
心が真っ白になりました。
なんでこの人はこんなことを言うんだろう。私がそんな態度をとっていたのか。そもそも私は人を見下しているつもりなんて全くないのに。
でも同時に、これほどまでに心をかき乱されるという事は、これは真実なのかもしれないとも思いました。真実でなかったらこんなに動揺することなく、「そんなことないですよ」と笑って受け流せるだろうに。
自分は嫌な人間だなと思う反面、無意識に見下してしまっているため、どのように意識を変えれば、脱・嫌な人間をできるのかいまだに考えています。
また冷静に考えてみると、これほどまでに人の深層心理を見抜いているメンターという立ち位置は、ものすごく人を見ていないとできないものだと感じました。私は人をじっと見て、その人の端緒や長所を見つけるのがとても苦手なので、むしろこの立場を経験してみたいなと思いました。
全員が納得する
「全員が納得するまで話し合う」というのがチーム内での約束事でした。
しかし私は6人が納得しあう状況は成立しないだろうと考えていました。
今まで多数決で物事を決めるとき、全員一致で採択されたことってほとんどなかったと思います。少数派の人が折れなきゃいけない、つまりは誰かしらが犠牲にならないと議論は前に進まないと思っていました。
しかし、今回のグループは違った。
誰か一人でも腑に落ちない顔をしていると、誰かしらが確認を取り、全員が頷くまで会話をやめなかった。その結果、スピード感のある市場調査とかはできていなかったようにも思えるけど、メンバー全員が自分たちの提供するサービスに納得して臨めたし、何より最後に全員が「最高のチームだったよね」と言い合えた。
今まで何かしらのグループ行動で、これほどまでに個人の意見が尊重されたことはなかったように思えます。この「全員が納得するまで」ルールがどの人数規模まで通用するのかはまだわかりませんが、これがいろいろなところでできるようになれば、よりたくさんの人と強固な信頼関係が結べると思いました。
インターンで得たもの
好きなことやってみなよ
営業が終わった直後、HEROの代表である橋本さんとお話する機会がありました。
「なっちゃん、好きなことやってみなよ」
あまりにシンプルでかつ真意を突いた一言。
なぜ橋本さんがこのタイミングで私に対してこの言葉をかけたのかはわかりません。
私は今までさんざん自分のやりたいことをやってきたつもりでした。
でも改めてそう言われると、本当にそうなのかわからなくなってしまいました。
私が好きなこと。
食べること。普段と異なる場所に行くこと。農業をすること。ことばを集めること。海を眺めること。お散歩すること。人と話すこと。風を感じること。挑戦すること。笑いのネタ話を作ること。
たくさんある。
どの規模の「好きなこと」の話をしているんだろう。きっとどの規模でもいいんだろうな。それが本当に好きなことであるならば。
でもどうせ橋本さんに宣言するなら、夢のある規模の話をしたい。
「それ叶えられるのかなぁ」ってちょっと笑っちゃうくらいの大きな規模。
その大きな規模の「好きなこと」、自分の一生をかけてでもやりたい「好きなこと」をその時問われた気がしたから、私ははっとしたんだと思います。
そして今だにやっぱりその規模の「好きなこと」不明瞭なまま。
死ぬ気にはなれない
私の中での自分に対する一つの疑問として、
「自分は今まで死ぬ気で何かやったことがあるだろうか。
自分は死ぬ気でやるということができない人間なんじゃないか」
というものがありました。
今までもちろん頑張ってきたことはたくさんあります。高校の時の部活だって、大学受験だって。でもそれは「自分なりの本気」であって、別に「死ぬ気」ではなかったし、そもそも私は「死ぬ気」になる前に休憩とって保身に走ってしまう。ここでちゃんと休まないとパフォーマンスが下がるというのをなんとなく感じて、その感覚を信じて休みを取ってしまう。
そんな保身に走る自分を捨てて、何か「死ぬ気」でやり遂げたい。そんな想いで参加したプログラム。売り上げを伸ばすため、顧客感動を与えるため。自分なりに必死で考え行動した60時間。
それでも結局限界を超えることがなかった。
「もう無理、死ぬ」みたいなことは頭をよぎらなかった。
ということは、私はどんなに頑張っても「死ぬ気」というものを味わえない人間だという結論に至りました。
体力的につらいことでも、楽しいことに発想を転換できてしまうから。
どんな事態でもプラスの発言をいつの間にかしているから。
起こる出来事全てを楽しんでしまうから。
ある意味で今回は「自分は死ぬ気にはなれない」という事を知れたいい機会になったと思います。本来の目的とはちょっとずれてしまったけど、それはそれでいい収穫になりました。
Other CAMBODIA
インターン以外にも感じたこと、考えたことはたくさんありました。
本当に書ききれないです。
でもどうしても残したいものを厳選して綴ります。
平気で食べ物を捨てられる
小学校に行ったとき、地元に住むお母さんたちが私たちの為にたくさんの食事を用意してくれました。食事は日本でいうそうめんみたいなものに辛い汁をかけたもの。汁の味も3種類くらいあって、緑だったり辛かったりお肉が入っていたりパクチーが入っていたり。
日本人の学生はそれを受け取り食べていましたが、全然箸が進まない。
「パクチー嫌い」「量多い」「辛い」「まずい」
そんな声がいろんなところから聞こえてきました。
私が完食してゴミ捨て場に行くと、みんな残飯置き場を探していました。
すごく悲しかった。
わざわざお母さんたちが作ってくれたのに。
そういうものを平気で捨てられる人間なんだって。
その人が、というよりも、きっと日本は平気で食べ物を捨てられる国なんだということを実感してしまった感じ。
もっと悲しかったのが完食した私を見て「え、全部食べたの?マジ?」と言ってきた人がいたこと。まるで完食することの方がありえない、みたいな顔して。
もはや悲しいを通り越して怒りだったかもしれません。
この怒りをぶつける場所がどこにもない。
花火を見て怖がっていたあの子
今回のツアーではビジネスで稼いだお金で子どもたちのためにおもちゃを買って、小学校を訪れて一緒に遊ぶという事もしました。そして私の回は幸運なことに小学校で花火を打ち上げる日と重なっていました。
花火の打ち上げはHEROが去年から始めたプロジェクトで、地雷の影響で火薬に対するイメージが良くないカンボジアにおいて、花火を打ち上げることで悪いイメージを払拭しようという思いが込められています。渡航前に去年の様子を動画で見ていて、子どもたちが全力で喜ぶ姿がとてもかわいくて、これが生で見れることをとても楽しみにしていました。
花火当日。
私の隣には一人の少女が座っていました。
私は花火の間、できるだけこどもたちの顔を見ていたいなと思っていたので、花火を観つつもずっと地上にある子供たちの顔に目を向けていました。
多くのこどもたちが歓声を上げ立ち上がり全力で喜ぶ中、少女は耳を塞ぎおびえた目をしていました。
ことばに出来ないくらい心が痛かった。
この子の過去に何かあったのかな、火薬そんなに怖いんかな、この記憶が何かのトラウマにならないといいな、花火って全員が全員喜ぶものでもないんだ、
その子を見れば見るほど、この花火が早く終わって、この子が早くこの苦しみから抜け出せたらいいのにと思いました。わざわざつらい思いさせてごめんねと心の中で何度も呟いていました。
花火が終わってその子と目が合うと彼女は私に
”Are you happy?”
と尋ねました。
その言葉の真意はわからなかったけどかろうじて私は Yes とと答えました。
私が彼女に同じ質問を返すと、彼女も Yes と返しました。
本当に楽しめていたかどうかはわからない。この子に気を使わせてしまったのかな。
とてもきれいで特等席で見れた最高の花火だったけど、それ以上にこの子の過去と未来を思うと心が沈む出来事でした。
子どもと遊ぶのが苦手
期間中、3回ほど小学校を訪れる機会がありました。
このツアーに参加している多くの学生は「こども大好き!」というタイプが多く、みんな楽しそうにこどもと触れ合っていました。
私自身ももちろん子どもはかわいいなぁと思います。
ですが遊ぶとなると話は別問題。決して子供と遊ぶのが嫌いなわけではなく、単に遊び方がわからないのです。
そのため、子どもたちが近寄ってきてもなんとなく手をつないでぶらぶら歩くことくらいしかできない。どうやって楽しませるかもわからない。
将来子どもと関わることをやっていきたいなぁというのを、ぼんやりと考えることもありますが、これほどまでに子どもと遊ぶのが苦手となると考えものです。
こどもと関わることは決して子どもと遊ぶ必要はない。それが現時点でも考えなので、まだこどもと関わる選択肢を捨てたわけではありません。
ダントツの親日国
パブストリートを歩いているとかなりの高確率で日本語と出会えます。
「おねえちゃんかわいーね」「アジノモト!」
そんな風に声をかけてくるトゥクトゥクのおっちゃんたち。
「おねーさんこれ安いよー」「ばらまき土産になるよー」
と客引きをする店員のお姉さん。
すれ違って目が合うと、大抵のカンボジア人はにこっと微笑みかけてくれます。
私はこの感じがとても好きで、
だって日本を歩いていて、すれ違う人に微笑みかけてる人に遭遇することって全くって言っていいほどないじゃないですか。日本人はおそらく海外から来た人に対しても微笑みかけないだろうし。おもてなしという素晴らしい文化はありますが、それはどこか表面的なもののような気がしてならないのです。
カンボジアは今回行った3か国のどこよりも笑顔がすてきで、日本人に対して好意的で、本当にいいところだなぁといういうことを滞在期間中ずっと感じていました。
おわりに
私は今回カンボジアに何をしに行ったんだろうと考えたとき、真っ先に出てきたのは「自分の直すべき点や再考する余地のあるものを見つけに行った」という答えでした。
わざわざ飛行機で5時間かけて行った土地で、日本でもできるようなことをしていたのかもしれない。いやこれはカンボジアという土地で出会った人たちのおかげでできたのかもしれない。
整理したいこと、自分の見つめなおしたい部分、再考したいこと、カンボジアに行ったことによってたくさん出てきました。これらをこれからの日常生活で少しずつ消化していくのでしょう。