あんこの開墾日記

自分自身を耕して、掘り起こして、本当にしあわせな私のありかたを発見したい。そんな想いで書いてます。

私はなぜ海外に行きたいのか

 

「海外に行きたい」のきっかけ

高校1年生の4月から3年日記をつけ始めました。

ある日の日記の中で「国連で働いて、途上国の人を助けたい」という夢が書いてありました。記憶を探ってみるとおそらくこの事件が関係しているのだと思います。

 

17歳のノーベル平和賞

17歳の少女がノーベル平和賞を受賞したのを皆さんは覚えていますか?

私はこの時15歳。高校受験に向けて毎日猛勉強していました。たくさんの先生に勉強を教えてもらって、家族にたくさん気を遣わせて、友達と励ましあって、周りの人たちに応援されて。

一方で国が違うだけで、勉強をするために武装勢力と闘わなければならないという世界の不条理さを知ってしまいます。思えばこの出来事が世界に興味を持つようになったきっかけだったように思えます。

 

自分のしあわせに気づく

この出来事を通じて自分の中での一番の大きな変化は「自分はしあわせなところで生きている」という事実に気づいたことでした。

身近に戦争の「せ」の字もないし、衣食住にも困らないし、家庭不和もない。この何気ない日常生活の一コマ一コマが本当は全然当たり前じゃなくて、とっても恵まれているんだという事に。

自分はこんなしあわせな環境でぬくぬく暮らしていて、でも生まれたところが違うだけでそれが叶わない人がたくさんいる。そんな当たり前の事実に気づいて、ひとりで大きなショックを受けました。

 

大学受験の理由付け

そこから月日は立ち、高校生なりの忙しい日々を送り、海外への興味はずっと頭の片隅に置き去りにしていました。

しかしいざ、自分の今後の進路のことを考えたとき、本当に自分が知りたいことってなんだろうと考えたとき、やっぱり最初に頭に浮かんだのは「海外の現状を知りたい」ということでした。もっと自分が知らない世界を見てみたい、自分とは全く異なる環境で生きている人がどんな生活をしているのか知りたい、そう思うようになりました。でもそれをうまく言語化できずにひとりで途方に暮れていました。

 

大学志望動機を600字で書く時に大きな壁にぶつかりました。そこで普段国語の授業でお世話になっている先生に一緒に書くことをお願いすると、いきなり本格的な面談が始まりました。

「なんで海外行きたいの?」

「いつから興味を持ち始めたの?」

「具体的に海外のどこに行きたいの?」

「異文化理解をしてあなたはどうしたいの?」

 

つっかえながらも、人にこんな深層心理を聞かれるのは恥ずかしいなと思いながらも、自分が考えていることを一つ一つ言葉にしていきました。

 

「知らない世界を見てみたいんです。」

「中学生の時、マララさんがノーベル平和賞を受賞した時くらいからだと思います。」

「想像のつかないところ。日本とは全く生活習慣が異なるところ。生活に困っているような途上国に行ってみたいです。そこに住む人たちがどんなことに困っていて、自分はそれに対してどんなことができるのかを考えてみたいです。」

「紛争とかってやっぱりお互いの文化を理解できていないから起こるものだと思うんですよね。でもそれが解消されたらもしかしたら紛争とかってなくなるんじゃないかなって思ってて。もちろん自分がその国の文化を理解して、それが紛争の解決にどうつながるんだって聞かれたら、わからないと答えるしかないんですけど。それでも知らないよりも私はそういう世界があるっていう事を知りたくて。」

 

質問に答えているうちにたくさんの知らなかった自分に出会うことができました。心の中でこんなことを考えていたんだとか、こういうことを人に言うのが恥ずかしいと自分は感じるんだなとか。

この「潜在的に考えていることを誰かに引き出してもらう」という経験によって、今までなんとなく感じていた海外への興味がはっきりとした輪郭を持つものに変わっていきました。

 

カンボジアに行って

大学受験が幸運なことに12月に終わり、4月までのあと3ヶ月どうしようかと考えたとき、真っ先に「本当に途上国を見に行こう」と考えました。とにかく行ってみて、自分自身で何か感じないと始まらない、と。

そこでNPO法人HEROが主催している学校建設のスタディツアーに参加することにしました。大学生の中に混じって、3日間はカンボジアの観光、残り3日間でレンガを積んだり、床に石を敷き詰めたりという作業をして、こどもたちを触れ合って、ばかみたいに笑って楽しみました。

 

 

何か変わるかもしれないと思って参加したスタディツアー。

でも正直に言って私の中では何も変わらなかった。

一つ変わったことがあるとすれば「こどもってかわいいな」と思えるようになったことくらい。

今まではずっと、このスタディツアーに何かしらの意味を持たせたかったから、何も変わらなかったと言いたくなかったけど、でも結局自分に素直になって振り返ってみると、この経験によって何か考え方が変わったとかそういうことは起こらなかった。

 

 

私にとっての今回の渡航

「海外に見切りをつける」

これが今回の渡航の私の中での意味づけです。

 

 

大学に入学してから、いくつかの国際協力系のイベントとかにも行ってみたり、テーブルクロスという海外に給食を届ける事業を行う会社に関わってみたりもしました。そうした中で海外の話を聞いても興味がわかなくなったとか、そういう話じゃないんです。今でも「インド行ってみたい」とか唐突に思うことは多々ありますし、海外に対する憧れは衰えていません。

でもかつてほど「海外」や「国際協力」というワードに惹かれていないのも事実です。

 

それよりも「食」という分野に惹かれるようになりました。

もっと知りたいという対象ができたと言えるのかもしれません。

 

そんな心境の変化を経て、今回の渡航になります。

今回は【フィリピンの貧困地域での炊き出し】→【カンボジアでのビジネスインターン】→【ノープラン東南アジア一人旅】の三本立てになります。それぞれの環境でそれぞれの問いを持って挑もうと考えています。

一つ目は、「海外×食」ということに自分は人生をかけられるのかという問いを持って。

二つ目は、HEROのプログラムでより大変とされるインターンで、自分は三日間死ぬ気で頑張れる人間なのかという問いを持って。

三つ目は、昨年の夏にした国内の一人旅と同様、海外でも一人旅を楽しめるのかという問い持って。

 

この三週間ちょっと、自分が本当に海外を楽しめたら、また海外に興味が移るかもしれません。でももしかしたら「もう海外はいかなくていいかも」と思って帰ってくるかもしれません。