フィリピンにて
今回のフィリピンの渡航の目的は、現地のこどもたちに炊き出しのボランティアをするためでした。
小学校・スラム街・ゴミ山(視察のみの参加)の3か所での炊き出しを通じて感じたこと、フィリピンのセブ島に1週間滞在して感じたこと、それと思ったこと、考えたこと書いていこうと思います。
整理しきれてないけど、鉄は熱いうちに打っておきたい。
こどもたちとの出会い
この国では本当にたくさんの場所で子どもたちと出会いました。
一括りにこどもと出会ったと言っても、いろいろな出会いがあったので一つ一つ書いていこうと思います。
ゴミ山で働くこどもたち
途上国の貧困を語るうえでよく引き合いに出されるこの言葉。
今までは自分の視界には入らない場所で起きている現実だった。
その日、私は見た。ちゃんと見た。
「ゴミ山で働くこどもたち」を。
私は見たけど、あの時どう行動するべきだったのかも、何を口にすべきだったのかも、今になってもまだわかりません。
同行した人の一人はゴミ山の様子を記録として写真に収めていた。もう一人はその姿を見て「違うよな」と呟いていた。私は何もできなかったし、何も呟けなかった。
同じ目的意識を持って来た団体のメンバーの中でも、これほどまでに行動や言動が異なる。「違うよな」と呟いた人は、きっと写真を撮る行動を否定したかったのではなくて、その行動に対して心から「違うよな」という感想しか出てこなかったんだと思う。
私はこの感情を忘れないためにもこどもたちの姿を写真に収めたかった。でもカメラを取り出す勇気もなかった。「違うよな」と呟く勇気もなかった。
本当に立ち尽くすことしかできなかった。
でも私がそこにいることすら、その子たちからすれば邪魔な存在だったのかもしれないと思うと心が痛かった。
とりあえず、まだ何が正解かはわからないけど、この違和感を記録として残しておきたいから文字に起こしておきました。
路上で寝てるこどもたち
セブ島ではジプニーという乗り物が交通手段の一つとしてよく使われます。
乗車賃は7~10ペソくらい。
メンバーの多くはタクシーを好みますが、排気ガスにまみれる、涼しくもない風を肌で感じることのできる、どこに着くのかもいまいちよくわからない、他人との距離がほとんどない、そんな決して快適とは言えないジプニーになんとなく乗りたくなってしまう自分がいます。
ジプニーは循環バスのようなものなので降りたところから目的地まで少し歩かなくてはなりません。
その途中でたまに見かけるのが路上で寝ている親子。
日本でも路上で寝ている人は見かけるのに、なぜセブ島でみるとこんなにも引っ掛かりを感じてしまうのか。
それはこどもだからなのか。
こういう子たちにこそおいしいごはんを届けられたらと感じます。
団体として炊き出しをするという事は、大人数で調理ができるため、より多くのこどもたちにごはんを届けることができます。しかし団体としての活動になるので、決まった地区、決まった小学校でしかできません。
そんなことにもどかしさを覚えつつも、結局どうすることもできませんでした。
スラム街の元気な子たち
ここであった子たちとは本当にとにかくよく遊びました。
スラム街と聞いて治安が悪い地区だろうなと思っていましたが、全くそんな印象はなく、むしろこどもがたくさんいる賑やかで楽しい場所だなぁとすら思いました。
「ダッパン」という鬼ごっこをしたり、家族ごっこをしたり、おんぶしたり、だっこしたり、たくさん写真を撮ったり撮られたり、人懐っこい子たちがたくさんいたおかげで私自身もめいっぱい楽しむことができました。
中でも一人の女の子によくなつかれ、お家に連れていかれました。
お家の中でたくさんおしゃべりをしました。
家が火事でなくなり今は仮設住宅のような場所で暮らしていること、両親はお仕事に行っていて寂しいこと、得意になって私に英語の読み方を教えてくれること。
一緒に時間を過ごすことで、ひとつひとつの「そのこ」の一部が垣間見れた気がしました。
両親が仕事に行っててあまり遊んでくれないから私に甘えているのかな?とか、
火事でこの子の心にトラウマが植え付けられていませんように、とか、
このままずっと勉強が好きなままでも、この場所でどこまでちゃんとした教養を学べるんだろう?とか
そんなことを考えながら、その子と遊んでいました。
その子は私に「日本の写真がみたい!」とせがみました。
鎌倉で撮った神社の写真が日本っぽいかなと思いその写真を見せると、他の写真もどんどんスクロールして見ていき、次第にそのまわりにはこどもたちが集まってきました。
ひとつひとつ写真をめくるたびに歓声が上がります。
彼女たちは私が今まで撮りためていた食べ物の写真を見ていました。
その時衝動的にスマホを取り上げたくなったけど、我慢しました。
この子たちがおそらくこの先も食べることができないような食べ物を、なんで自分はわざわざ見せびらかしているんだろう。
きっとこの子たちは見せびらかされているという気持ちはないだろうし、自分もこれを見せようとしてこうなったわけじゃないけど、黒と茶色と紫と青の絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜて心を塗りつぶしているような感覚でした。
この子の環境に対して思うこと、考えることがたくさんありました。
おそらく、これを感じ、考えるためにここに私は来たんだと思いました。
帰り際もずーっと "I miss you" と言いながら腕をつかんでくる光景は今でも忘れられません。その返答で無意識に私は ”I will come back" と言っていました。
この子たちに嘘はつけない。だから私はまたセブに行くと思います。
小学校で見た少女
小学校では1年生の3クラス総勢90名に炊き出しを行いました。
今回の炊き出しでは全員に配ることは難しいため、それならより学校をドロップアウトしやすいと言われる低学年を対象にしようという事で、1年生だけが対象となりました。
実際に小学校の先生にお話を伺うと、「みんな今日を楽しみにしていたの。でも残念ながら今日学校にこれなかった子も何人かいるわ。その子たちはずっと学校に来ていない子たちで、その理由は大抵お金がないとか病気になってしまったとかなのよ」というお話をされていました。
そのお話を聞いたときの違和感は自分の中でもいまだに拭えていません。
本当に助けたい、助けるべきこどもはその子たちのはずなのにそこにはどうしたって届かないんだというやりきれなさ。
少女の話に戻ります。
私たちが準備している間、ひとりだけずっと私たちについて回る少女がいました。
服装はボロボロで、友達を楽しそうにしているわけでもなく、かといってつまらなそうなわけでもなく、目が合うとにこっとしてくれる少女に私はとても惹かれました。
その少女は自分は11歳なのでごはんをもらえるわけでもないのに、私たちが使う机を運ぶのを進んで手伝ってくれました。
他の子とは圧倒的に何かが違うと思いました。
本当にきれいな目をしている、と思いました。
静かな優しさを持っている、とも思いました。
この少女のエピソードはこの文章の中で入れる必要はなかったかもしれないけど、どうしてもあの少女と出会ったという事をどこかに書いておきたかったので、ここに記しておきます。
船で会った兄妹
このプロジェクトの中で1日だけ、離島に行って思いっきり遊ぶ日がありました。
その帰りの船で出会った兄妹と仲良くなり、2時間くらいずーっと一緒に遊んでいました。
その子たちは次々に紙を私に手渡して、折り紙で何か作ってほしとせがみました。
初めのうちは自分の作れるものを作っていたのですが、女の子が「ハートを作ってほしい」と言ってきて、困ってしまいました。
確かにかなり昔に作ったことはありけど、全く作り方を覚えていない。
しかし女の子が私を見つめている手前、作れないよとは言えませんでした。
十数分の試行錯誤の結果、それらしいものが完成しました。
女の子の笑顔を見て、「価値を生む」という事を初めて体感的にわかった気がしました。
人が喜んでくれるのもを作る。
たったそれだけのシンプルなことなのに、本当に難しくて、完成させた時の喜びはそれ以上に大きい。
この先社会に出て、自分でお金を稼ぐようになって、他のことに目がくらんで、「価値を生む」というシンプルなことが見えなくなったら、この日のこの感情を思い出したいなと思いました。
物乞いへのまなざし
メンバーの一人と物乞いについて話す機会がありました。
私はそれまで物乞いに何かを渡したことはありませんでした。
どうしてと尋ねられると言葉に詰まりますが、おそらく「その後もたかられ続けるのは困るから」「渡さない方がいいと言われたことがあるから」「貧困の根本的な解決にならないから」「きりがないから」そんな理由に集約されると思います。しかし彼と話していると、そうした理由はあくまでも他人の意見であって自分の意見ではないような気がしてきました。
「たった1ドル物乞いに渡すだけで、もしかしたら彼をほんの少しでも救えるかもしれない。だから俺個人だけで行動しているときは、物乞いに渡すようにしている。」
彼はそう言いました。
今まで自分は物乞いを見てそう思えたことがあったかなと思ってしまいました。
「物乞い=関わってはいけない存在」という事を最初から決めつけていなかっただろうかと我が身を振り返りました。
その直後、たまたま老人の物乞いに遭遇し、実際に数ペソ渡してみました。
そうすると彼女は悲しそうな顔をするのです。
足りない、と。
渡して見て思いました。
彼らは貰うことに慣れすぎている。
貰うという事にあまり後ろめたさがない。
あの「足りない」に対する反応に私は困り、結局逃げるようにその場を立ち去りました。
この件に関しても、もやもやが残り続けています。
フィリピンでの食事
基本的に私はこの国の食事が好きでした。
何を食べても外さないという感覚。好みによるとは思いますが。
行動を共にした人たちのおかげで、いろいろな食べ物に挑戦できました。
バロット(半分ひよこになったゆで卵)、鶏の頭の唐揚げ、謎の魚料理、ファストフード、街角で売っているパン、タホという名のデザート、本場のハロハロ、シロクマみたいなアイスキャンディー、ダイナマイトという揚げ物、レバ刺し、様々な南国の果物、パンケーキみたいにおしゃれなトースト、、、
屋台で売っているものから町の食堂、Wi-Fiが通じるおしゃれなカフェまでいろいろなジャンルのものをたくさん食べました。多少はお腹を壊さないかどうかという心配もありましたが、それ以上に食への好奇心が勝ってしまいました。
しかしフィリピンでの食事を1週間も続けていると、どうしても新鮮な野菜が食べたくなります。マーケットや大型スーパーで野菜が売られている姿はよく見かけたのですが、町の食堂や屋台で野菜と遭遇することはありませんでした。
基本的に米、肉、油、砂糖、以上!という感じの食生活だとどうしても飽きが来ます。ずっと胃もたれみたいな感じ。
こうした食生活の中で改めて和食って健康的なものなんだなぁとか考えたり。
おわりに
たくさんの違和感を感じながら過ごしたセブ島での9日間。
違和感を感じながらもちょっと高めのレストランで食事はするし、タクシーにだってお金は払えてしまう贅沢な身分。
この一食分を私が食べずに物乞いにあげたら、何日間彼らは安心して生きていけるのだろうか。考えれば考えるほどに苦しいし自分が嫌になってしまいます。
自分の中での世界の貧困に対して自分ができることの暫定的な結論は「考え続けること」です。
私一人が考え続けたってきっと現状は好転しない。
でも、
この違和感を意図的に忘れたり放っておいたりしたくない。
考えることをやめたらきっと楽になる。
でも、
それでは今回行って見た意味がない。
考えることをやめたら問題は絶対に解決されない。
でも、
考え続けている限りは問題が解決される可能性は消えない。