あんこの開墾日記

自分自身を耕して、掘り起こして、本当にしあわせな私のありかたを発見したい。そんな想いで書いてます。

クッキングバトる その後

3回前に書いたCCB(Creative Cooking Battle)のブログ

おまけに準決勝まで進んじゃいましたという報告をしましたが、実は準決勝をも通過し、決勝までコマを進めて、準優勝を果たしました。

ということで、今回はCCBの決勝についてのあれこれ。

 

もやもやが残った準決勝

私たち筑波大学チームは、準決勝で生ごみの廃棄量の数グラムで勝ち残り、決勝にコマを進めました。

でもなんだかメンバー全員浮かない顔。

 

 

「おいしさ、点数低かったよね」

「なんかさ、全体的に緊張しちゃって楽しめてなかったよね」

「あのチームが片栗粉さえ残していなかったら、私たち負けてたよね」

 

「というか、料理はおいしくなかったら意味がない!」

 

せっかく勝ち上がったのに、帰りの電車は重苦しい雰囲気でした。

 

でも、せっかくもらったチャンス。

もう一度、私たちにはこの悔しさを晴らすチャンスが与えられている。

そんな想いで臨んだ決勝戦でした。

 

久々に「勝負をしている」という感覚

大学生にもなると、むきになって誰かと戦うってことがなくなったように思えます。

高校生の時は、部活もあったし、勉強の成績でも常に誰かと張り合い、比較され、もがいていた。そんな生活をしていたのに、大学生になった途端、人と同じ条件で戦うフィールドがなくなった。人と比較されることも張り合うこともなく、自分がやりたいことをやりたいように、やりたいだけやることのできる環境に放り込まれた。

 

だからこそ、今回のCCBへの参加は青臭く懐かしいにおいがした。

時間との勝負の中で、より人に評価されるものを作り、相手の評価をを気にかけ、ドキドキしながら結果を待つ。こんな感覚はいつ以来だろうか。

時間に間に合わせないといけない焦りとか、結果を待っているときの緊張感とか、相手に勝ちたいという意欲とか。

高校時代に躍起になって勝負をしていたあの頃を少し思い出しました。

 

チーム内の私の立ち位置

私たちのチームはそれぞれがおおよそ「自分の作るもの」というものを確立していました。

あなたはスープ。あなたはメイン。あなたはデザート。そして私は副菜。

それがあったから、私は私の料理に集中することができたのだと思います。

 

私は食材とる前の作戦会議(あの料理を作りたいから、この食材をとろう!みたいな)では特に何も言わないで、みんなが欲しい食材を聞いて、それを勝ち取ることに徹していました。つまりこの時点ではどんな食材を使うのかも、どんな料理を作るのかも全く決めてない。もともとそんなに料理のレパートリーがあるわけでもないし、これがあるならこれがおいしく作れるという自信があるわけでもない。だから取りたい食材も作りたい料理もなかなか決まらないのです。

そのあと、強制配布を経て、私たちが使う食材がすべて出そろったとき、私は初めて頭を動かします。みんなが作る料理を決め、食材を選びきり、私の手元に残った食材を見て、その時に考え始める。

おそらくこれは日頃からの料理の癖でして、基本的に私は「あれを作りたいからこれを買う」というよりも「今日はこの食材が余ってるから、これを作ろうか」という感じで料理をします。だから私にとってCCBは日常の料理をちょっとグレードアップさせた感じです。

 

 

おいしいがやっぱり嬉しい

私が手掛けた料理は

予選 レタスとちくわの白和え

準決勝 シイタケのチーズバーガー

決勝 夏野菜のとコンニャクのお茶漬け煮びたし

 

これがcreativeなのかと問われれば、そうでもないかもしれません。

でも、余った食材を組み合わせて私が作れた一番の料理だと思っています。

無理に変にひねるより、おいしいものを作ろうとすれば、自然とこのメニューが浮かびました。

 

3つの料理を毎回審査員の方に直接おいしいって言ってもらえたのがすごく嬉しくて。

「酒のつまみにしたいよね」とか「優しい味がする」とか。きっと審査員の方はいろんな人に「おいしいね」って言葉をかけているんだろうな。その「おいしい」は彼らにとってはたくさんあるうちの褒め言葉の一つ。でも、私にとってその「おいしい」という一言は特別なもの。私にとって自分の料理がそんな風に誰かにおいしく食べてもらえるってこんなに嬉しいことなんだなってことを改めて感じました。

 

せっかくだから、フードロスについて少し考える

今回のこの企画。一番のテーマは「フードロスを楽しく解消しましょう」というもの。

私も「食」という分野に興味がある以上、このテーマは私にとっても大きな意味を持ちます。

 

私はフードロスの一番の解決策を「生産の現場を見ること」だと考えています。

自分たちが普段食べているものは「生き物」であり、その生き物が食べ物になるまでには多くの人の手がかかっているということを知る機会が足りていないと感じるからです。

 

住宅地の中で育ち、畑も田んぼもほとんど見たことないまま、ここまで成長してきた私。これまで私が見た食べ物というのは、スーパーできれいに形を揃えられて、泥が落とされて、お行儀よく陳列されたものか、すでに調理がされていて、食べられる状態のものばかり。私たちが普段食べている者たちを「生き物」と感じる瞬間があまりにも少なかった。

 

だから人々はそこにごはんがあることを「当たり前」と感じてしまう。

 

それは「当たり前」なんかじゃない。

農家さんや畜産農家さんが「生き物」として一生懸命育てて、もしくは漁師さんが命がけで漁をしてきて、一つ一つの「いのち」を出荷して、市場で競りにかけられて、小売店に卸されて、そこでお母さんがその野菜を買って調理して、そうした長い長い道のりを経て、そのごはんは私たちの目の前にある。

そんな当たり前じゃないことが、毎日私たちの 食卓に上がるごはんは「誰かのおかげ」でそこにあるってことを、私たちと同じ「生き物」であったことを、誰もが想像できるようになれば、きっと食べ物を捨てる気持ちになんてならない。

 

それが私の現時点でのフードロスを減らすための方法だと思っています。