日本にて
もしかしたらこの3週間の旅はまだ終わっていないのかもしれないと、この文章を書きながら思います。
これを書ききるまでは、私の旅は終われないと。
帰ってきてから湧き出た感情も含めて、旅なんじゃないかと。
そのため、帰国してからほとんど毎日、睡眠時間を1時間くらい削ってPCに向かい合っています。そんな生活も今日で終わりのようです。
今回の文章では、日本に帰ってきて改めて思ったことや考えたことを書いています。
やっと形になったので肩の荷が下りた感じです。
日本ってすごい!
よく海外に行って自国の良さに気づくというお話を聞きますが、今回は本当にそれを実感しました。
日本語が通じる、感動。
春を感じられる、感動。
トイレに紙を捨てられる、感動。
食べ物に警戒しなくていい、感動。
一年前、一週間のカンボジア生活ではこうした感動はなかったのですが、今回は期間が長かったせいか、体調を崩したせいか、帰国してから感動しっぱなしでした。
特に食事に関してはそれが本当に顕著で。
日本って何を食べてもおいしいんですよ、本当に。
私は日本食ほどおいしものはないと言い切りたいですね!(別に世界を食べ尽くしたという自負があるわけでもありませんが)
メニュー見ても「これ、どんな料理なんだろう」と怯える心配がないですし。
いつも当たり前のように日本で生活していて、ぬくぬく生きていたんだなぁという事を改めて実感するとともに、この国に生まれてきて本当によかったなと感じます。
外が好き
私は小さいころから外で遊ぶのが嫌いでした。
小学校の昼休みに先生に「外に行きなさい」というのを全力で嫌がり、どうしたら外で遊ばずに済むのかをずっと考えていました。
それでも中学・高校は陸上部に青春を捧げ、「外が嫌いとか嘘でしょ」とか言われそうな生活をしてきました。
そこで最近気づいたのが「私は外で遊ぶのが嫌いだったんじゃなくて、人に強制されて遊ぶことが嫌い」という事でした。誰かに言われて自分の行動を制限されるのを、極端に嫌がる子だったんだという事に、今更になって気づいたのです。
そして自分の感情に素直になってみると、私は外にいることが好きという事に気づくことができました。
海を眺める。
風を感じる。
日の光を浴びる。
鳥のさえずりを聞く。
私が好きなことは全部、外にいることでした。
自分の「好き」になかなか自分で気づけない私にとって、この発見というのはとても大きなもので、この感情を忘れることなくこの先もずっと大切にしていきたいですね。
暇そうに働く東南アジアの人々
町のいたるところで働くアジア人を目にしました。
服を売る人、ジュースを作る人、アイスを売る人、大きなスーパーで接客する人。
みんな暇そうなのです。
全然真剣な感じもしないし、日本みたいな張り付いた笑顔の「おもてなし」もないし、かといって楽しそうにしているわけでもないし、
その代わりに、ケータイゲームしたり、近所の人とおしゃべりしたり、鬼ごっこみたいなふざけあいして遊んでたりする。
つまりは、頑張って仕事をしていない。
こんな光景を見ていると、なんで日本人は自分を追い詰めていろんなものを犠牲にしてまで仕事を頑張っているのかなという疑問が湧いてきます。
辛そうに電車に乗り込んでくるサラリーマン、日曜の夜に明日を嘆くOL、「学生は自由でいいなぁ」と羨む社会人。
みんななんでそんなに仕事つらいんですかね。
そこまで仕事で心擦り減らす必要あるんですかね。
私は小さいころから「お父さんはお前たちの為に毎日大変な仕事を一生懸命しているんだぞ」と父親から諭されてきたし、社会人になった姉は毎日しんどそうに会社に出勤していきます。
私はまだ大学生という身分で社会人として働いた経験はないし、社会のことをまるで分っていないと言われれば反論する術は1mmもないけど、それでもやっぱりこの状況って奇妙なのかなと感じます。
日本にいると
「生きていくのに働くのは当たり前、働くという事はつらいものがつきもの」
という感覚が蔓延していると感じます。でもそれって日本国内だけの考え方であって、世界を俯瞰したらこの当たり前って通用しないんだろうなと東南アジアを見ていて思います。
少なくとも私が3年後社会に出たとき、仕事がつらいと口に出してしまうような、学生を無意識に羨んでしまうような、そんな大人にはなりたくない。
そんな当たり前に飲み込まれたくない。
そうならないために、今、楽しく働いて楽しく生きていくにはどうしたらいいのかを全力で考えています。
全部笑い話
旅って笑いのネタ探しなんじゃないかなと思うことが多々あります。
旅の道中、危ない目にあったり(タイで4日間お腹壊したり)、思いがけないショックな出来事(インドに行けなかったり)に遭遇するなど、今回の旅は決して一言で「楽しかった!!!」といえるものではありません。実際、今回の話をしていると「大変だったね」と言われることが多いです。
確かに大変でしたが、その大変を楽しむマインドってとても大切だなという事を感じています。どんな出来事も捉え方次第で楽しい出来事になるんじゃないかなと思います。だから、どんなことが起きても「あとあと面白い話ができるようになるぞ」とわくわくできるような心の余裕を、常に作っておこうと思いながら過ごしていました。
その結果、たくさんの笑い話をお土産に持って帰ることができました。
自分に起きた不幸ごとって、話し方次第では人を楽しませたり勇気づけたりできるなぁと今回の体験談を人に話しながら考えいました。
もしこれを読んでる人で、まだまだ私の旅の楽しかった話とか失敗話とか聞きたいよという方はぜひぜひ連絡ください!全力でお話に行きます!
私は何を切り取ったのか
渡航中、身近な人からこんなことを言われました。
「東南アジアに行った人って子供の写真とか、マーケットの写真とか、雑多な風景の写真とかをよく撮るよね。それって『東南アジア』がそういう姿をしているんじゃなくて、『その人が切り取りたい東南アジア』がそういう姿をしているんだろうね。君が何を写真に収めてくるのか楽しみだよ。」みたいなこと。
その言葉に度肝を抜かれたというか、私はどんなまなざしでこの世界を見ているんだろいうという事を大いに考えさせられました。
結果、私は今回の渡航をほとんど写真に収めることはできませんでした。
なんとなく空恐ろしくて。
自分が切り取る東南アジアを、後から見返すのが怖かったのかもしれません。
その人に何を思われるのかというのを勝手に想像して、臆病になっていたのかもしれません。
自分のまなざしに自信が持てなかったのかもしれません。
今思い返すと、そんなことで臆病になんかならないで、たくさん写真を撮って自分のまなざしを記録すべきだったのかなとも思います。写真を撮るという行動自体が普段から苦手なのですが、その苦手にあえて挑戦すべきだったのかもしれないと、今になってほんの少し後悔しています
おそらく、今回の「写真を撮らなかった」という行為自体が、「まなざし」向けるのを躊躇っていたという記録として残るんだろうな。
今度どこかに行ったときはちゃんと記録に残してみようかなとも思っています。
人と関わって生きていきたい
一人旅をしていて思うこと、
それは、これからもずっと人と関わって生きていきたいということ。
人と関わり続けたフィリピン、カンボジアでの2週間。
人との関わりをほとんど絶ったタイでの4日間。
どちらも私にとってはとても大切な時間で、人と時間を共有するのも好きだし、自分の時間を自分で使うのも好き。
どちらも好きだけど、やっぱり私はたくさんの人と関われる人生でありたいなと思います。たくさんの人と話して、いろいろな世界を見て、たくさんのことを感じて考えられる人生でありたい、と。
最近、大学卒業してからすぐに就農することも視野に将来を考えていました。
しかし作業をするたびに、農業というものは小さく閉ざされたコミュニティの中で自然と向き合ってするものだと常々感じます。そしてその生き方は私も好きな「人と話す」ということは相反する部分があると思います。
となると、私はも少し違うフィールドで何かやってみたいなと考え直すきっかけにもなりました。まだ具体的に何かを落とし込めたわけではありませんが、少しずつ視界が開けていっている感覚はあります。
どんな形で人と関わっていきたいのか、どんな形で食と関わっていきたいのか、まだまだ再考の余地がありますね。
故郷をいろんなところに作ること
私はこれが旅の一番の醍醐味なんじゃないかなと思っています。
いろんな場所に行くたびに、たくさんの笑顔に出会って、おいしいに巡り合って、優しさを受け取って、美しいを感じて、またそれに会いに来たくなる。
フィリピンのこどもたち、鶏を持たせてくれたおじさん、愉快な音を鳴らしながら移動するアイス屋のおじさん。
カンボジアのトゥクトゥクのおじさん、ゲストハウスのお兄さん、一緒にインターンで成長した仲間たち、小学校のこどもたち。
タイの美しい離島ビーチ、意外とおいしいマンゴーライス、船で散々お世話になった外国人観光客、バイク屋のおばちゃん。
思い返すとたくさんたくさん出会いがあって、こうした出会いのおかげで心からこの約3週間を楽しむことができました。
そしてまたこの人たちに会いに行きたいと思える。行きたいというより「行かなきゃ」と思える。
旅に出ることで、そういう場所、つまりは自分が故郷と呼びたくなる場所ががどんどん増えていくのが旅の楽しみであり、私は日本中さらには世界中に自分の故郷を作るためにいろんなところに行くのかもしれません。
脱アジアがしたい
今回アジアの3か国を巡ってみて、なんとなくどことなく雰囲気が似ているというか、同じ文化圏なんだなぁという事を感じていました。
3週間でアジアをわかった気になってしまうのも良くないのはわかってはいますが、それでもやっぱりなんとなくアジアって多分どこに行ってもこんな感じの空気感なんだろうなという予想ができてしまいます。食に関しても、やっぱりなんとなくアジア圏の料理ってどれも似ているように思えます。(ごはんがススム味付けという意味では共通なので)
私が海外に行きたい一番の理由は「日本では出会えない、自分とは全く異なる生活文化に出会いたい」というものです。
つまり、このまま東南アジア旅の安さに惹かれて、人柄に惹かれて、ずっとアジアに居座るのも進歩がない。わかっていることを確認しに行くのでは、つまらない。
もっといろんな世界を見て、衝撃を受けたいのです。
ということで、次に海外に行くならアジア圏以外の場所に行って見ようと思います。
さてさてどこに行くかはまだとんと見当もつきませんが。