あんこの開墾日記

自分自身を耕して、掘り起こして、本当にしあわせな私のありかたを発見したい。そんな想いで書いてます。

5年ぶりの映画

 

 

これまでずっと触れることのなかった映画の世界に足を踏み入れてみました。

本当に久しぶりにあんなに長い時間画面の前に座っていたなぁと我ながら感心しています。

 

今まで食わず嫌いならぬ観ず嫌いだっただけで、観てみたら案外面白いものでした。

今回は映画『0円キッチン』を観て感じたことをつらつら書いていこうと思います。

 

映画『0円キッチン』とは

 

“世界の食料の3分の1が捨てられている”
食品ロスをなくすため、ダーヴィドは欧州5カ国を5週間、廃棄食材しか食べずに旅します。http://unitedpeople.jp/wastecooking/ 

公式HPではこんな紹介がされているこの作品。

とにかく主人公・ダーヴィッドが廃棄食品を見つけてきては調理して、自分で食べたりその地域の人に振舞ったりする様子を映像で切り取っています。

その様子がとっても楽しそうに撮影されているので、見ているこちら側も自然と笑顔がほころんできます。

 

出てきたフレーズの中で印象に残ったもの

海外の作品なので字幕での鑑賞になりました。そのため一つ一つの言葉がとても印象に残ったので、その中でも考えさせられた言葉をいくつかご紹介したいと思います。

 

忙しい現代人は知恵を失った

私は現代人なので昔のことをよく知っているわけではありませんが、聞く話によると昔の人は食料を保存する知恵を豊富に持っていたようです。乾燥させたり、漬物にしたり、燻製させたり、発酵させたり…。しかし残念ながら私はその知識を誰からも教えられることなくここまで育ってしまいました。それは核家族化が進んだのもそうだし、女性の社会進出が進んだのもそうだし、おそらくこうした社会構造の変化をはじめとする複数の要因がこうした現状を引き起こしているのだと思います。

その事実が私にとってはちょっと悲しい。

先人が長い間蓄積してきた知恵が失われているという現状に切なさを感じる。

確かにこれだけ便利になった現代で、もはやそういった知恵は必要ないと言われればそれまでなのだけれど、なんとなくもやもやを抱えてしまいます。

 

 

素直においしいかまずいか言ってほしいんだ

これは主人公がいつも漁場で雑魚を捨ててしまっている漁師さんに、その雑魚で作った魚介スープを振舞うときに放った言葉です。

料理に関して、それがごみ箱から拾われてきたとか、いつもは廃棄されているものとか、賞味期限が数年前に切れたものとか、そういうことを考えるべきではなくて、シンプルに「おいしいかどうか」を感じることが大事なんじゃないかと思います。(もちろんきれいで新鮮なものがおいしければそれが一番なんですけど)

普段食材を捨てている人って、自分たちが捨てている食材を食べるという発想がないため、そうした食材を使った料理に対する先入観が大きいのです。でもそうした先入観を取り払って純粋にその料理がおいしいかどうかを評価してほしいということを彼は伝えるのです。

漁師たちは「おいしい」と答えます。普段レストランで食べる料理と同じくらい、と。

 

本当に食事というのはこれに尽きます。

このシーンを見たとき、私のこころはとってもあたたかくなりました。

 

 

 自分で手をかければ捨てる気にはならない

私は普段から食べ物を捨てる気にはならないのですが、参加者のコメントを聞いているうちに、世の中の多くの人が日常的に食べ物を捨ててしまっているということが窺えました。そんな話を聞いているうちに、本当に自分は全く捨てていないのかと何度も省みてみたのですが、やっぱりほとんど捨てた記憶がない。おそらくほぼ一年間一人暮らしをしていて捨てた食べ物といえば、どうしても食べれないくらいまでに腐らせてしまったカブのスープくらい。このロスを出してしまったときの後悔と言ったらなかった。

私は基本的に外食以外のほとんどの食事は自分で作ります。一方で食べ物を捨ててしまうとお話していた人は、例えばスーパーの閉店間際に安くなっていたお惣菜を買いすぎて食べきれなくてとか、出来合いのものを買ってきて食べきれずに捨ててしまうことが多いそうです。それって自分で手をかけたものじゃないからなのかなぁ、とその方もつぶやいていました。

人間が簡単にものを捨てられるようになる心理ってもしかしたらそんなところに隠れているかもしれません。そのものが作られてきた過程を知らない、そこにどんな人が関わってきたかが見えない、どんな思いがのせられているのかを知らない。

だから簡単に捨てられる。

 

そんな考え方が世界中ではびこっている限り、絶対にフードロスはなくならないと思います。逆に言えば、人々がものが作られる過程を顧みる想像力や、想像するだけでなく実際に現場を見に行く時間的余裕、さらには自分がものの生産に関わる意欲を持てるようになれば、その世界はより良いものになるのかもしれないと感じました。

 

参加者は立場が違う

今回の上映会では、参加者がそれぞれこの映画の感想や印象に残った場面、今日から自分に出来ることを話し合う機会も設けられていました。そこでお話して感じたことは、当たり前のことですが「自分とは立場や考え方が異なる人がたくさんいる」という事でした。普段忙しくてあまり料理もしないし、出来合いのものを買ってきて食べきれなくて捨てちゃうという人ももちろんいるし、野菜の皮まで出汁を取ってから捨てるという人もいるし、ただドキュメンタリー映画が好きだから見に来たという人もいるし、友達に連れてこられただけという人もいる。

 そうした人たちが同じ映画を見て、感じたことを言い合うことで、やっぱり感じるものも違うし、今日からしようとする行動も違う。自分では思わなかったことをポッと発言する人もいる。そんな空間がとても興味深かったです。ことばのこてんの映画版だなぁとかぼんやり考えたりしました。

 

 おわりに

今回の映画を見て私が一番感じたことは「同じことをしてみたい!」でした。

日本でやったらどんな結末が待っているのかな、と想像しただけでわくわくします。映画に出てきた一般の人はみんな楽しそうに食事をしていたけど、日本でやっても同じようにあんな空気が作れるのかとか、法律的にスーパーのごみ箱を漁ることは許されているのかとか、廃油で走る車を作ることは可能なのかとか、思うことはたくさんあるけれど、それでもやってみたい。

いつ実現できるかはまだ不透明ですが、やるなら学生のうちかな?