あんこの開墾日記

自分自身を耕して、掘り起こして、本当にしあわせな私のありかたを発見したい。そんな想いで書いてます。

職場でのおもいやり

 

 

最近お手伝いに行っている農場のある日の出来事です。

私がその日みたものすべてをなるべく忠実に描写したうえで、その様子を見て私が感じたことを思いのままに書きます。

 

ある日の出来事

 

その日、Aさんは朝からずっと「手が痛くてあまり動かせねぇ」と言っていたそうです。

 

その日の作業はパートタイムで働いているAさん、Bさん、Cさん、そしてお手伝いさんの学生の私、の4人で収穫したほうれん草の選別をして、袋詰めをするという作業でした。作業中も度々Aさんは手が痛いとこぼしていてそのたびに周りの人々は声をかけていました。

そんな中、Cさんが「自分の体は自分にしかわがんねぇがら、自分で管理しなきゃなんねぇよ」とAさんに言うと、Aさんは「そうだな」と一言こぼして、私たちに何かを言う隙も与えず帰ってしまいました。

その後その場に取り残されたBさん、Cさんはとても驚いていました。

「私何か気に障るようなこと言っだがな?」

「普段こんな態度とるような人じゃねぇのになぁ?」

残された二人はなぜAさんが突然帰るという行動に出たのか、まったくもって理解できないようでした。

 

そのうちポツリとBさんが言いました。

「最近ちょっと気になってたんだが、Aさん、左の瞼がちょっとおかしくねぇが?」

「そういうのって脳梗塞の兆候とも聞ぐぞ?」

脳梗塞が今の行動の原因だっだら、ちょっと見に行った方がいいんでねぇが?」

Bさんの何気ないポツリから、私たちのなんとも見えない不安感は一気に高まりました。

 

「ちょっとおら、Aさんの家見てくる」

居ても立ってもいられない様子で、Cさんは作業場を飛び出していきました。

しばらくして帰ってきたCさんは「ピンポンにも電話にも出ねぇ」とさらに顔を曇らせていました。

 

そこでBさんが提案します。

「ここの農場の社長に家に行ってもらえばいいんでねぇが?もし気に障って私たちの呼びかけに出ねぇようでも、さすがに社長が行ったら出るだろうし、もし社長が呼んでも出ねぇようだったら本当に倒れてるかもしれねぇし。」

その場にいる人たちはみなその提案に賛成し、社長にお願いしてAさんの家に行ってもらいました。

 

しばらくして社長が帰ってきました。

「Aさんはね、今ちょっと病院に行っていたみたい」

道理で家にもいないし、電話にも出れないわけです。考えてみれば手が痛いと訴えていたのだから、その後病院に診察を受けに行っているのは自然な流れです。

「それでね、診察してもらったら脳外科への紹介状を書いてもらったらしくて、今から大きな病院の方に行かなきゃならないみたい」

 

…え。

つまり、Bさんが察知していた異変はあながち間違えではなかったようです。

Aさんはただ手が痛いだけではなく、脳の病気が関わっている可能性が高いと、医師に診察されたみたいです。

 

「悪いけどBさん、作業はもうそこで止めていいから、Aさんを大きな病院に連れて行ってくれないかな?多分Aさんは断ると思うけど、強引に言い張っていいから」

と社長はBさんに、Aさんの病院の送迎をお願いします。

「もちろんです」

そう告げてBさんは急いで車に乗り込み、Aさんの家に向かいました。

 

 

 

 

 

 人のつながりが希薄と叫ばれる世の中で

たくさんの「独り」に溢れた世の中。

人々がかつてよりも自由に移動できるようになり、ムラという共同体の概念が薄れ、人と人との繋がりが薄れている世の中。

隣の誰かと会話しなくたって、食べるものにも困らなくて、着るものにも困らなくて、平気な顔して生きて行けちゃう世の中。

 

そんな世の中で見たその日の一連の騒動は、まぎれもなく人のつながりを感じられる出来事でした。

 

 

小さな異変に気付いてもらえる

「今日いつもよりなんか顔色悪くない?」

「いつもと様子がちょっと違うよね」

 

そんなことを感じて心配してくれる人がいてくれる職場ってどれくらいあるのだろうと感じます。

仕事をするだけの関係。人と人との関係というより、仕事を円滑に進めていく上での関係。おそらく多くの人が、そんな関係の中で日々の仕事をこなしているんじゃないかなと思います。(私は社会人として社会に出たことがないので、これはあくまで想像ですが、「会社」=「私情を持ち込まない、希薄な人間関係」というイメージが強いです。)

 

でも、ここは違う。

小さな変化であっても見逃さないで、心配してくれる人がいる。

ただ違和感を感じるだけじゃなくて、本気で気にかけて力を貸してくれる人がいる。

 

 

仕事を中断してまでも、想ってくれる人がいる

私の父が体調を崩して仕事を早引けしてきたときは、父は自力で病院に行っていました。おそらく会社の人にはお世話になっていなかったと思います。

これは会社の生産性を考えれば当たり前のことです。ただでさえ一人欠員が出たのに、その看病とか付き添いにまた人員を割くなんて、おそらく多くの会社はそんなことはしないでしょう。

 

でも、よく考えたらこの「当たり前」に対する違和感に気づくはずです。そこに体調の悪い人がいて、その人が自力で病院に行こうとしているのに放っておくのは、何かがおかしいってことに。

この農園では当たり前のように人が人に対して手を貸していた。誰もがAさんを心から心配して、Aさんのことを想って行動していた。

 

こんな関係が築かれた場所を増やしたい

私は「人」が好きです。

だから「人」との関係が希薄なこの現代社会に対して、なんとなくもやもやしています。

もやもやしているから、今回のこの出来事で心がほっこりしたのかもしれません。

 

 

「なんだ、現代社会にも、こんな素敵な関係を築ける場所があるんだ」

素直にそう思いました。

 

 

人とこんな素敵な関係を築ける場所をもっと増やしたいと感じました。

もっともっと多くのところで、こういう関係性を築いている場所があれば、もっともっと優しい世界が実現するような気がするのです。

そんな優しい世界が実現すれば、もっと幸せを感じることができる人が増えるような気がするのです。