私の中の「風穴をあける論争」
止まってられない性格
高校生の時くらいから、暇な時間を過ごすことがとても苦手でした。
これはおそらく受験勉強していた時の生活が大きく関係しています。慌ただしく勉強と部活をこなす生活の中で、いつの間にか「ゆっくりしていること=罪」という固定観念が自分の中に根付いていました。
この考え方は基本的には私にいい影響を与えるのですが、時として悪影響も与えるのです。
いい影響に関して言えば、授業の課題を早く片付けることができるとか、自分の興味のあるプロジェクトにいろいろ手を出せるとか、スケジュール管理能力が高まるとか。よくない影響に関して言えば、何かしていないと不安に陥るとか、ゆっくり自分と向き合時間をたれなくなるとか、趣味に没頭することができないとか。
今回の場合、よくない影響が私に大打撃を与えていて、とにかく今自分が停滞しているんじゃないかということを止まっている間に何度も考えてしまう。
頭打ちが続いた日々
4月に入って春休みの自由な生活はどこへやら。授業やらバイトやらなんやらかんやらがどばーっと流れ込んできて、まさに去年の10月の再来みたいな感じ。とにかく自分の時間がなくて、流れていく日常を取りこぼさないようにするのに必死でした。そのため5月にはちょっとばかり生活を見直して、自分がやることやらないことをはっきりさせ、何とか立て直したような気がしていました。
そこで問題が解決したと勘違いしていましたが、本質はそこではなかった。
生活を見直した後もなんとなく、だめ。進んでいる感じがしない。
日常は予定が詰まっていて、傍から見ると割と充実していて忙しくいろいろやっているようにも見えるけど、自分が進みたいところに向かっている感覚がない。ただただ日々のスケジュールに自分の体力と精神を忙殺されている感覚。
進んでいないと、進んでいない自分が許せなくなって、それでも進めなくて、人に甘えて、その繰り返し。この進めなさは体調が悪いからなのか、精神的なものなのかもわからない。でもとにかく前に進めていない。
この2か月間、そんな頭打ちな日々を過ごしていました。
安住した生活
不満ばかり書いていますが、実は今の生活はとっても気に入っています。
家に帰れば姉がいて、学校に行けば友達がいて、スマホを開けば電話で話を聞いてくれる友達がいて、困ったら頼れる先輩方がたくさんいる。どんな時でも話を聞いてくれる人、全面的に私のことを受け入れてくれる人、すっと我に返れるような言葉をかけてくれる人、そんな存在がいてくれるから私はいろんなことに挑戦できるし、安心してへこむことができる。
でもだからこそ、そんな環境にすっと甘えたままではいけないということも自覚しています。
もっと自立して、周りに頼らないで、生きていたい。
人に甘えるばかりじゃなくて誰かがつらいとき受け止められるような器の人間になりたい。
とっても大好きなこの環境。ぬるま湯のような居心地の良さ。だからこそそんなところにいつまでもいようとする自分の甘さが嫌になる。
風穴をあけたい
そんな安住した生活から脱出するべく、「生活に風穴をあけたい」と考えるようになりました。
ぬくぬくした環境にちょこっと新しい風を入れて、外の空気と入れ替えて、刺激を受けることが必要なんじゃないか。例えば住む環境を大きく変えてみるとか、思い切って生活の中心になっている何かをスパッとやめてみるとか、今まで全然関わってくなかった分野に手を出してみるとか、自分を支えてくれる人たちに会う頻度を減らしてみるとか。
そのため、この1か月くらいは「どう風穴をあけるか」ということをたくさんの人に相談してきたように思えます。(私の話に耳を傾けて下さった方々、アドバイスをくれた方々、本当にありがとうございました!!)
そうして私が導き出した答えがこちら。
きっかけはそのうちやってくる
自分なりにこの気持ち悪い感情の中で足掻いた結果、私が行きついたところは「きっかけはそのうちやってくる」でした。
今まで走り続けて、時には立ち止まるタイミングも必要なのかもしれない。周りに甘えたり、無為に時間を過ごしたり、自分が何をやりたいのかもがいたり、この先のことをじっくり考えたり、そんな時間がきっと今の私には必要なんだ。
即座に環境を変えるのではなく、いったんこの甘えた環境の中で自分を問いただし、前に進む準備をしようと思います。
そうしている間にきっと何かが降ってくる。今無理に何かを探しまくって焦ってまたモラトリアムになるよりは、思い切ってぬるま湯につかりながら「何か」がやってくるのを気長に待つのもいいのかもしれない。
こうしてぐるぐる悩んでいる真っただ中に、家族に言われて一番納得できた一言がこれでした。
「あんたは過去に何をしていてもいい意味付けができる性格なんだから、この何にもしていない時期にも、きっと未来のあんたはいい意味付けをしてるよ」
確かに、おっしゃる通り。
ということで、今は何かを渇望してがむしゃらに動くことなく、ひたすらにきっかけを待つことに徹するようにします。