疑問を感じ始めてから半年
あれは10月のことだった
長い長い大学生の夏休みが終わり、日常が戻ってきた。
夏休み、ひたすらに自分のやりたいことをして、全力で「生きて」いた。
そんな日々に一気に現実が流れ込んで、私の日常は忙殺されました。
週4日で朝6時から銭湯の清掃アルバイトをして、授業も休まず出席して、夜の飲食店のアルバイトを週2くらいの頻度で頑張る。自分の時間も持てず、あまり何事に対しても感情を持たず。家に帰るとすぐにベッドに転がり込み眠りに落ちる日々。
「このままの生活じゃ、多分ダメになっていく」
漠然と不安を感じていた時、いつのお世話になっている先輩から、とても大切な一言をかけてもらいました。
「なっちゃんの1時間は、900円なんかじゃない」
このことばをきっかけに、私は変われた気がします。
そっか、900円を得たいがために、自分を殺すのはやめよう。
確かに生活していくためにはお金は必要だけど、それはとりあえず最低限でいい。
それよりの自分が納得できる時間の使い方をしよう。
そう思い立ち、その翌日には飲食店の店長さんにアルバイトをやめる旨を伝えました。
もしかしたら、この文章を読んで「これだから学生アルバイトは」と思われる社会人の方のいらっしゃることでしょう。
確かに自分の行動は突然だったし、無責任だったのかもしれません。
でも、代替可能なアルバイトにしがみついているよりも、ちゃんを自分が納得できる時間の使い方をしたいという思いが勝ちました。お金を稼ぐことは後からでもいくらでもできるけど、この先について考えるのは、今このタイミングがベストなんだと。
人に会いに行こう
さて、バイトをやめた分、時間を得ました。
自分の時間に900円以上の価値を与えるために、自分はどう行動していこうか。
そこで半年前の自分が思いついたのが、「人に会いに行く」ということでした。
これまでも私は、人と会って話していくうちに成長してきていると思っています。
自分のことを人に話すことによって、自分の考えを整理できたり、根底にある自分の想いを引き出せたり。
その人のお話を聞くことで、何かきっかけをつかむような情報を得たり、新しい考え方を得たり、自分の中でもやもやしていたものをすっと消化できたり。
そんなわけで、私はそこから「人に会う」ということを最優先にして生活を始めました。
そこから得たもの
そんな生活に切り替えてから、果たして私は何を得たのか。
その1
ブログをはじめました。
何をやろうか悩んでいたところ、ポツンと言われたのが
「なっちゃん、ブログはじめてみれば?」
でした。
この言葉を言われる前から、このブログのページは開設してありました。誰にも知らせず、ひっそりと。
それは自分の文章に自信がなかったから。
自分の考え方を多くの人に伝えるのは恥ずかしかったから。
今もその気持ちは常にあります(笑)
では、どうしてそんな恥ずかしい思いをしてこの文章を書いているのか、と尋ねられたらまだちゃんとした答えは用意できません。
でもとにかく、今自分がこんなことを考えていて、こんなことに悩んでいるんだということを忘れないうちに、残しておきたいという思いで書いています。あわよくば、読んでいてくれる人に何かアドバイス貰えたらとか、同じように考える人と話すきっかけが欲しいとかも。
その2
渡航のきっかけを掴みました。
8月頃にイベントで出会った食に関して事業を立ち上げていた方に、改めて連絡をしてみたところ、快く私の「会いたい」に応じて下さり、お話をしました。
お話を聞いているうちにフィリピンで炊き出しをしているということを聞き、その場でそのプログラムに参加することを決意。
その結果、以前のブログで書いた通り、フィリピンから日本で得ることのできない感情をたくさん持って帰ることができたし、そこであった方々ともたくさんお話できて、それがまた刺激になったりしました。
おそらくこの渡航がなかったら、カンボジアにもタイにも行けてなかったし、そこで出会った人にも一生出会えてなかったと思います。
そう考えると、この渡航は後々の人生に大きな影響を及ぼした出来事になるかもしれません。
その3
4月からやっていた学生団体をやめました。
夏くらいからずっとその団体での活動内容に疑問を感じていて、しかしそれについて自分の中で考えを整理できないままずるずる続けていました。
改めて一人で考える時間を作ったり、自分の現状を会った人にお話しているうちに、自分のやりたいことと今やっていることにはずれがあることをはっきり自覚し、やめることを決意しました。
私がその団体をやめるにあたって、おそらく多くの人に迷惑をかけてしまったように思います。ですが、自分の気持ちに嘘をつきたくない、学生生活の中の貴重な時間を軸がずれたところに使いたくないと考えてやめたもの事実です。周囲への迷惑ややめることの後ろめたさと、その団体で自分のやりたいことをうまく表現できていないもどかしさを天秤にかけたところ、勝ったのは後者でした。
判断が間違っているかどうかは別として、判断を下した自分自身が納得できているのでそれでいいのだと思います。
そして今
10月の私は「半年後、全く違う自分になっている」と強く信じていました。
そこから大きな夢が見つかったわけでも、何かを成し遂げたわけでもないけれど、多分全く違う自分にはなれている気がします。
きっと今から半年後の自分も全く別物になっているだろうし、その先も、またその先も、ずっと。
人間は普通に生きていても多分変わり続ける生き物なんだろうけど、それでもこの半年間は、これからを考えるうえで貴重な時間だったかなと感じています。