デジタルと離れた結果
前回のfacebookの投稿で少し触れた、10日間のスマホとパソコンがない生活について今回は書いてみようと思います。
誰しも一回くらいはあるんじゃないかと思います。「今すぐスマホを放り出したい!!」って思う瞬間。私は日常生活の中で1日1回くらいはそう考えます。
今回は10日間もそれを実行してしまいました。
私の心境の変化はいかに…?
きっかけ
12/27の11時ごろ箱根につき、12時くらいには担当の方からの説明が終わり、17時までフリータイムとなりました。とりあえず移動で疲れたし部屋で休もうしたのに、私の性格上「一人で」「室内で」「なにもしない」という事がかなりのストレスになるので、結局パソコンをいじりながら時間を過ごしていました。
14時過ぎ、目が疲れてきたのでお散歩に行こうと立ち上がり、宿泊場所から芦ノ湖まで3.5kmほど歩きました。その時ちょうど今関わり始めているプロジェクトのちょっとした電話ミーティングもありスマホをもって外に出ました。
なぜかLINEをずっと見てた。
見ていて通知が増えるわけでもないのに。
そんなに頻繁に見なくても困るものじゃないとわかっているのに。
自分のそのわけわからない行動にどうしようもない嫌気を感じて、本当に連絡絶ったらまずいかもしれないという数人にだけ自分が今やろうとしていることを説明して、それを相手が理解してくれたかどうかはわからないまま電源を切ってしまいました。
人とのつながりをきった直後
せいせいした気持ちにはならなかった。
思ったよりも不安の気持ちが大きかったのは事実です。
自分はあまりスマホとかパソコンとかに依存していないと自負していたのに、この状況に不安をいだいている自分に出会ってしまったという感覚。
10日後にLINE開いたら通知が600とかになっているのかな?いや、600とか予想して60だった時の人から必要とされてない感を想像すると悲しくなるから予想たてるのやめた方がいいかも。
LINEが滞る心配ばかりしていました。
でも同時にやっとやりたいことを実行できた!とも思えた。
普段はやっぱりできないことだけど、この山奥という状況、年末年始で世間一般でも仕事をしている人が少ないという状況、この二つが重なり合ったからできたことだと思います。
そして、せっかく10日間も箱根に滞在するのだから、画面なんて見ていないで、ここでしか出会えないものにたくさん会いに行こうと思いました。
デジタルがないということ
近くの観光地に行こうとしても情報が手に入らない。
寝る前に目覚ましをセットできない。
バスが来る時間がわからない。
地図を見たくても見れない。
気になる本をメモできない。
写真が取れない。
あぁ、わたし、いつもはこんなことにスマホを使っていたんだなって初めてわかりました。でもこの困りごとって、ほとんど全部スマホがなくても解決できちゃうんですよね。
観光地の情報は、常勤で働いているスタッフに聞けばいい。たまたま入ったお店の人に聞いてもいい。もっと言うと、別に観光地に行く必要もない。自分が行きたいところに行けばいいのだから。
ケータイじゃなくてもアラームは設定すればいい。なんならその気があればちゃんと時間通りに人間は起きれるようにできている。(と信じてる)
バス停にある時刻表を見ればいい。というかバスに乗らずに歩けばいい。
観光案内マップでも貰えばいい。道に迷ったらひたすら来た道を引き返せばいい。
メモなんて紙とペンを持ち歩いて、そこにすればいい。
写真は撮れなくても、記録はできる。必ずしも映像に記録を頼る必要はないのかもしれない。
こんな感じで。
ぽっかり空いた時間
スマホを使わないという事は、今までそれに費やしていた時間もぽっかりと空くという事。
その時間を私は何に使っていたのか。
中空きの時間はお昼寝するかお散歩していました。
まぁ割合としてはお散歩9、お昼寝1くらいでしたが。
数えてみたら、10日間の滞在で芦ノ湖を9往復していました。
でもやっぱりお散歩5時間はさすがに歩きすぎだし、そのあとの仕事にも響くため時々立ち止まっていました。
立ち止まって、山を見上げたり、ベンチに腰を下ろして本を読んだり、お気に入りのミュージアムでのんびりしたり、思いついたことをノートに書き留めたり。
そんな風にゆっくり時間を過ごしていました。
これがこの上なくしあわせでした。
今、私はとっても贅沢に時間を使っているなって思えました。
ちなみに思いついたことをノートに書き留めるのは、10月くらいからの自分のテーマで、本当に自分がしたいこととかありたい姿とかってなんだろうというのをひたすら書き留めていました。
おそらくこの時間があったから、今私はこうしてブログを書いているし、畑が欲しいとも思っています。
それでもデジタルは必要だった
こんな風に文章を書いていると、「じゃ、私はデジタルを欲していないのかもしれない」と思えてきます。
それはそれで別問題でした。
デジタルが果たしている昨日のほとんどは何かに代用できました。困ることはほとんどありませんでした。
でも一つだけ、どうしてもデジタルに頼らないといけないものがあった。
それは大切な人と連絡を取ることでした。
家族だったり、友人だったり。
想像以上に、知り合いが誰もいない土地で年越しをするというのはとても寂しかったです。
特に箱根神社に2年詣りした時のことです。
一人で芦ノ湖に上がる花火を見て、箱根神社の境内に上るのはとても寂しかった。
私の周りにいる人はみんな家族だったり、友人だったり、恋人だったりと一緒にいて、とても楽しそうに笑いあってた。
いつも聞いてる声が聞きたくなりました。
箱根ではこんなことがあってね、こんな仕事しててね、お気に入りのお店を見つけてね、、、なんていうなんてことない会話を、いつも一緒に時間を過ごしている人とわかちあいたかった。
この寂しさを感じて、初めて「情報通信の発明って偉大だなぁ」としみじみ思いました。
おわりに
デジタルと離れて、自分の中で本当に大切なものが見えてきたような気がします。
気がしているだけで、見えていないとも思います。
でもきっと、いままでずっと実行したかったことをまた一つ行動して、自分の中でその結果を消化して、また次に見えてくるものがあるんだろうなと思っています。
開墾はまだ始まったばかり。
これからの自分に期待しています。